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【伊良部秀輝】当時のプロ野球界の常識をすべて打ち破り 憧れ続けた名門ヤンキースでピンストライプのユニフォームを着る夢を実現させた心優しき孤高の速球王 メディアで見せる姿とは裏腹に仲間から尊敬された投手

割引あり

おはようございます。
世界で戦うために、海を渡ったサムライたち。
今回は、伊良部秀輝さんを取り上げていきます。

https://www.youtube.com/watch?v=xQA_JGUGQIE&t=456s

沖縄在留アメリカ空軍の父と
日本人の母の間に
ハーフとして生まれ、高校は香川県の尽誠学園に進学。
寮で同部屋となった1年後輩の
佐伯貴弘に、2つの夢をよく語っていました。

プロ野球なら阪神にいきたい、そして
メジャーリーグで投げたい、と。

同世代には鈴木健や島田直也、
仁志敏久らがおり、甲子園でしのぎを削った
高校時代を経て、ドラフト1位でロッテオリオンズに
入団、プロ入りを果たします。

村田兆治、前田幸長らとともに
チームの勝利に貢献、
2年目には清原和博に投じた156kmの速球が
話題となりました。

1993年、同じく清原との対戦で158kmをマーク。
平成の名勝負と言われ、今でも野球界の伝説として
語り継がれています。

2500試合に登板して、2000勝した
歴史上最高の投手
サチェル・ペイジにあこがれて
投球フォームを真似していた伊良部は、

日本で最多勝、奪三振、防御率は獲ったが
ロッテには、優勝なんて無理だという
雰囲気がある。でもヤンキースは違う。
世界一のチームや。
日本一弱い球団から世界一強いチームに行くんや。
そしてチャンピオンリングが欲しい。
日本球界全部を敵に回しても
俺はチャンピオンリングを獲りに行く。と、

念願のメジャーリーグ挑戦を表明、
ニューヨーク・ヤンキース入団希望を
口にしたのでした。

しかし当時、ロッテの提携球団
サンディエゴ・パドレスが
保有権を持っているということが判明し、
その夢は完全についえたかと思われましたが、

ピンストライプのユニフォームの重さ
というのは
野球を経験した者にしか分からない、と、
伊良部はヤンキースへの入団希望を
頑として譲らず、
三角トレードというウルトラCにより、
念願のヤンキース入団を果たしたのでした。

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