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#5:コンサートが開催できない意味

2020年の間、“コンサート開催”というメインの活動が難しい状況となり、既存の業務から飛び出すような取り組みに関わる機会が増えました。
コンサートというものにこだわりを持って取り組んできた10年は、実はたくさんの奏者とのコミュニケーションの10年でもありました。コンサートは、奏者の気持ちや仕事や生きがいや表現や人間性、お人柄など、多くの要素を凝縮したようなものです。そうした一種作品や“人生”のようなものをお客様にご披露するという取り組みでもあるので、奏者との意思疎通はとても大切なことだと感じています。
特に僕は、音楽事務所という特定の奏者を雇用させていただく形態の業務ではないため、何かに縛られることなく、たくさんの奏者と自由にコンサートを開催できています。それが良いか悪いかは別として、コンサート開催において奏者との関係性が何よりも大切であり、いつも風通しが良いものであるように心掛けているつもりです。

そして、こうした奏者との関わりが、コンサートを開催できないよう状況になった2020年、コンサートから離れても特に大きな意味を持つようになったように感じました。(いや、元々大きな意味はあったのですが笑)

具体的に取り組んだ活動としては、
① アッセンブリッジナゴヤ2020 レジデンス・アンサンブル プロジェクト ディレクター
② 名古屋市文化施策推進体制準備委員会 プログラム ディレクター
③ クラウドファンディング「それは、誰かのためのコンサート」
④ 奏者のプロフィール読み解きとインタビュー(公開準備中)
⑤ ホール・レジデンシープロジェクト
などです。

常々コンサートに関わるということは、奏者の“その人でないと成立しない、その人が演奏する目的が100%である”という点に意味があると感じているのですが、実は奏者の活動や音楽と他の物事との親和性の良さは、想像以上に広がりがあります。
例えば、コンサートはコンサート会場でなくても、奏者がいれば“道端も会場になり得る”という価値観や、奏者が音楽という分野を超えることで本来コンサートというカテゴリーにあるはずのものが、コンサートではない“何か新しい空間やアート作品”として見えることもあり得るということです。
上記の取り組みは、どの活動もコンサートとは少し違うものでしたが、コンサートで大切にしている奏者との関わり方が、その礎となり強みとなったように感じました。
(僕自身が)時にマネージャーのようであったり、主催者であったり、また友達のようであったり、責任者やディレクターであったりと、変化はするのですが、奏者の意図することや活動の幅を広げること、音楽の価値や奏者の意味を奏者でない僕が伝えていくこと、それはいつも共通した気持ちとして持つことができ、どの取り組みの中でも奏者との関係を強固にしてくれたように思います。

コンサート1つを取れば、演奏する人がいて会場が満席になれば、それでよしという見え方もあるのかも知れませんが、奏者の人生や僕の活動は、そこで終わるわけではありません。
これからも継続して積み重ねていく、ということを楽しみながら進める上では、奏者が自己発信でき、活動の幅や音楽性、奏者としての力量や価値を高めていける活動であるということ、そして僕はそれをサポートできる人材でいたい、という気持ちが、いつも活動の根底にあったのだということを発見しました。(いまさら笑)
コンサート開催から逸脱することは、実は邪道だと思っていたわけでは“ない”のですが、こだわるべき部分はそこではなく、コンサートがどういったものか、奏者がどう活躍できる内容のものであるか、奏者の価値を損なうようなものではないか、音楽を聴いてもらえる環境であるか、そういった広い視野の中で音楽がどう捉えられているかを、これからも感じながら自身の活動を続けていきたいと思っています。

まだまだ先の長いコロナ禍ですが、新しい発見や出会いも多かった1年となりました。


2021.5.21 FRI


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