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僕がブログ記事で長文を書く理由

僕はブログ記事を長い文で書くようにしています。
ある程度記事を分けてシリーズにして、長くなり過ぎないようにはしていますが、
それでも一つひとつの記事には、気持ちを込めて書いています。

その気持ちとは、ちゃんと文脈を読み取って欲しいという想いと、
文を読むのに楽しみを見出して欲しいという想いです。


ブログは所詮、書籍に文字数では勝てません。
限られた中で想いを伝えるには、ある程度の文字数が必要です。


そして、人が求めているのは情報や共感です。
少しでも目を留めてくれた人の時間を無駄にしたくありません。


僕が近年感じているのは、日本語を読み取る能力が落ちていると思っています。
これは僕も然り、日本人全体で。です。


特に日本語は、複雑で多様性のある表現が多いため、できるだけ簡略化したいのが見えてきて、主語がない表現が目立ちます。


その影響で、読み手が文脈を想像しながら読まないと読み解けない文や、
何が伝えたいのか分からない表現になっている文が多いと感じています。


これはWebだけではなく、メールやさまざまな媒体で見受けられます。
伝えたいことが分からないと、読みたいという気を無くしてしまいます。


今日はたまたま、同僚の方からのご相談で、送られてきたメールがよく分からないから見て欲しいとお願いがありました。
それを僕が見ても、話が抽象的すぎて、何とでも捉えられるような書き方でした。


メールを送った人を批判したい訳ではありませんが、あまりに抽象的だと、あらぬ誤解を招きます。
同僚の方は内容が分からなくて。と気にされていましたが、相手の伝え方に問題があるので、あなたのせいではないから、気にしなくても良いですよ。とお伝えしました。


なので僕は、そういった誤解がなるべくないようにと、文を書いています。
特に健康情報は、誤解を受けやすいと思っています。


記事は何回も繰り返して読んで、推敲しています。
できるだけ簡潔に分かりやすく。何度も何度も読み返しては修正しています。

ネタはiPhoneのメモに書いてますが、ブログのエディタにペーストした後にも、読み返して修正することがしばしばあります。


おかげさまで、ブログは分かりやすいと評判をいただくことがあります。書き手冥利に尽きます。ありがとうございます。

ひとつの記事を仕上げるには、時間がかかります。
一字一句は絶対に読み切れないと思いながらも、それでも読んでくれる人に向けて、これからもこのスタンスで書いていきます。

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