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生きて、いたくても――Prologue#1

 不幸と幸福は必ずしも対義語ではなくて、ただ不幸のないと言うだけの時間をも、僕は幸福と呼んでいいのだと思っている。それは一見、比率として幸福の方が多くなる様に思えるけれど、その基準は、決して幸福な人間から生まれたものではあり得ない。恵まれた環境に身を置いているのなら、幸福のない時間もこそ、不幸に感じる筈だから。

 欲しいものは常に、不足しているものだ。

 全てに於いて、欲とはそう言う実体を持っている。希望や願い、或いは期待も、概念的には欲と全く同一視して構わない。元々持っていた毒々しい響きをブラッシングしただけだ。一種の皮肉でもある。希望と言う言葉は、実に希望的なのだから。
 幸せになりたいと言う願いは既に、多かれ少なかれ幸せが欠けている、或いは満ちていない事の裏返しであり、証明でしかなく、だからそれに気づいてしまった時、僕は願いの素直さを捨てた。僕には、欠けているものを認める勇気も欠けていた。
 だけど、欲は必ずしも悪ではない。それがせめてもの、磨きさえすれば希望なんて言葉に変わる可能性だ。欲を人は満たし、もしくは満たそうとする。希望や願いなら叶えようとする。それは人にとって、高性能で、理想的で、原性の駆動力だ。だから本来、失っていい筈のものではない。無欲は一つの諦観と怠慢だ。清廉に聞こえるその言葉もきっと、どこかでブラッシングされて現代に辿り着いたのだろう。
 誰が言ったか、名言を一つ覚えている。「我々は現在だけを耐え忍べばいい、過去にも未来にも苦しむ必要はない。過去はもう存在しないし、未来はまだ存在していないのだから」。縋りつきたくなるだけの力を持った惹句だと思う。そして、そう感じた誰かの支持を得て、この言葉が後世に残る結果に繋がったのだとも。でも、今だけが未来に続いているのなら、耐え忍ぶだけでは、今を動かなければ、未来はきっと相似形になってしまう。
 それを僕は、諦めの気持ちで考えた。だけど、彼女は違った。

「未来、変えてみない?」

 今を動かなければ、未来はきっと相似形になってしまう、で彼女は句点を置いたりしなかった。それなら、今動けばいいのだと。
 彼女が見る未来の意味には、希望があった。
 そして、その希望には、「希望的」な響きがなかった。
 純粋な、光。

 ――光。カーテンの隙間から、光が差す。
 ああ。
 また一つ、目の前の未来が今になる。


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