終わる世界奇譚(短編・1/2)

 淡い夢を見ていた。水面に浮かんだ一ひらの鳥の羽みたいに、軽さがそのまま危うさの意味を持つ手触りの。
 楽園であった。暖かい雪。向日葵の上で眠る猫。輪になって巡り続ける川。少年は空を辿り、地平線と追い駆けっこをした。幾つかの、忘れ始めていた色だ。
 記憶に綴じておける様に思い返せる箇所は精細になぞってから、可能な限りゆっくりと目を開けた。この天井を、私も本来の住人も、もう二度と見る事はないだろう。
 寝台の頭の方に小さな書棚が備えつけられていた。ぎっしりと詰まった本の背表紙には全て同じ文字が使われていて、私には読めない。きっと、誰にも読めない。
 鼻先と耳たぶが、少しだけ冷えていた。
 
     / / / / /
 
 その人は家屋の前に設置された長椅子で、組んだ両手に額をつけて俯いていた。絶望と憔悴の形だ、二日前に見た彼女の相似の様に。
 誰かと出会う度、無意味だと分かっていながら、どうしても話し掛けてしまう。
「こんにちは」
「――////、///////////」
 やはり、駄目だ。今回は文節も言語体系も殆ど読み取れない。挨拶にしては長いな、と思った。返事ではなく独り言だったかも知れない。
 何が起こったかは知っていた、いや、気づけば知らされていた。 
 ロク・トロガッタ・イト・ヴィーヴァ・クィ・ヌーミ。それを或る人はジォットと呼び、また或る人はクグリツェノ・何とかと呼んだ。「世界」になろうとして、本当の世界に終止符を打つ元凶となった人類史上最大の建造物。にして今、私の目指す場所であった。
 戦争、人災、天変地異。各国は既に崩壊し、地上の環境も知る限り全土に渡り荒れ果てて、少なくなった人類は比較的安全だった局所――そこは仮に「最後の楽園」と言う意味の「イツワリエ」と名づけられたけれど、何せイツワリエは〈シノネラ語〉なので統一されていた筈の元の呼称は分からない――に集まった。そして生存する為に「世界」を作り始めた。数百年前から連綿と進化し続く歴史。それがあのあまりに巨大な塔だ。
 古い伝説は知っていた。天まで届く様な塔を建てようとした時、神は怒り、人々は言語を変えられ世界中に散らされたと言う、あの。……他に表し方があるだろうか?
 塔の目的は外界の悪影響を切り離す事、そして平和の確約だった。一つの建造物の中だけで己が身を守り、協力し合う、その宣言だった。しかし、これが起こった。分かりやすい事だった。まず言語に至っては皆が独自のもので知識や記憶から塗り変えられている。「神罰」以前の文字がそっくり読めないのはこの様な訳からであった。そしてまた私の気のついた場所は全く覚えのないどこか遠い……かと言って絶望を強いる程の隔たりでもない、土地柄のよく表れた、並木、菜園、石塀、用水路、それからまだらな雲や朝焼けなんかの似つかわしい田舎風な情景の真っただ中。塔は見えていた。これは全く無差別の振舞いからなるもので、私は生まれてより一度として塔を訪れても拠点としてもおらず、であれば必然的に塔の事業とは携わってもいなかった。言うまでもなく内部を、状態や事情も知らないのだった。
 気を確かにした時にはその現象に巻き込まれた事実と結果を既に飲み込まされていた。返して言うとそれだけ、それだけであった。
 私は塔を目指していた。――
 
 
 五日を歩いて、私は初めて共同体を発見した。昼過ぎの街の広場だ。……共同体。しっくり来る言葉が、〈シノネラ語〉にはないらしい。
 今朝は簡単なユピロットを腹に入れて出発した。あり様が変わったのはあくまで人間であって、世界自体には歪曲がない。廃村などでなく直前まで機能していた街であれば、適当に決めた宿でも食料や調理にはさほど困らなかった。多くの無人の家々は施錠されていて、そう言う場合は鍵の隠し場所を探すか、なければ壊す他なかった。その度に感じる躊躇は免罪符になりはしない。幾つかの良心の内、捨てなければならない箇所がある事を了解していた。
 風呂は昨晩の内に済ませてあった。清潔そうなものを選ぶとは言っても他人の浴巾を借りる事への抵抗はすっかり薄まっている。生の痕跡を染み込ませて去った。
「ビルー、ビルー」
 噴水の側に団居していた八人の内の一人、六〇歳くらいと見える老爺が、私の姿を認めて手招きした。これは流石に「こっちへ来い」であろう。私たちには凡そ共通の身体言語が残されていた。伝わらないのは大前提で、取り敢えず挨拶は口にしておく。
「こんにちは」
「ミノ・シオ」
 彼は少し古そうな紙を私に差し出した。描かれていたのは図形で、大きな四角の中に丸が九つあり、外の一つの丸からその四角の中へと線が伸びている。共同体に入らないか、と言う表示に見えた。賢明なやり方だ、……、
「丸が、九つ?」
 まだ他に誰か居るのだ、と思うのと同時に、向こうに見えていた路地から少女が飛び出し、こちらへと向かって来た。遠くの彼女は視線を私に合わせるなり、
「ルシ・ロッパュ!」
 と舌のもつれそうな言葉を私に聞こえる大声で叫んで、笑顔になる。幾つかの果物が入ったかごを抱きしめながら足を速める彼女は、推定で一二、三の、少なくとも私の年齢と一〇は離れていそうな、成熟と未成熟の間の瑞々しさを四肢に湛えていた。今にも風に融けてしまいそうに細く綺麗な金色の髪。感情を表現するのに臆面のない、あどけなくも可憐な顔立ち。羨ましいと思う訳ではなく、しかし私の少女を想起させるもののまるでない、美しい子供だった。
 ……生まれてこの方、癖の強いこの髪なんて伸ばした事はなかった。
「ルシ・ロッパュ? ッリロ・ヅュ・タネィ!」
 まるで大前提を正当づけないかの様に、目の前まで来た彼女は遠慮なく自分の言葉を話す。私は却って好感を持った。
「ジョ・ミノ・タネィ」
「ッリロ・ヅュ・タネィ!」ご老人と同時に、少女が自分を差す。
「……タネィ? えーっと……リロ・ジュ・シノネラ……?」
「シノネラ!」
「タネィ」
「ンン!」
 通じた様だった。タネィはまた嬉しそうに笑って、かごの中のソトロを一つくれる。神罰から数週間が経過しているにも関わらず随分と新鮮に見える。ちゃんと検めるとタネィの戦利品は季節の果物ばかりで、きっとどこかから収穫したのだ。イツワリエは地域によって豊かな自然も多く生き残っている。
「ナー・ニノ……」
 シオ氏――これはふと気づいた余談であるけれど、ご老人は「ジョ・『ミノ・タネィ』」と言ったので、滑稽な事にあれは自己紹介だったのだ――はまた「それより」と言う様に紙を突き出す。首を横に振る、その行為が出身によっては肯定を示す習慣であるのも承知していたけれど、それはどうしようもなくて、やはり首を横に振る。
「ロク・トロガッタ・イト・ヴィーヴァ・クィ・ヌーミ」
 人差し指で巨塔を示す。最早喋ったのは塔の名称そのままであったけれど、正式に呼ぶと長いので、あの塔に行きたいんです、くらいに聞こえてもおかしくない。
「アンヤー、カイサック……」
 何度か頷く動作をして、手を塔の方角へと向ける――「行きなさい」。刹那的であったけれど、この触れ合いは私の胸をいかばかりか詰まらせた。一つお辞儀をして集団を後にする。私は終着点が見たい。ここにはちょうど共同体の構成員が残らず集まっていて、誰も情報を持ってはいないらしかった。だから、確かめに行く。
 階段を降り、小径を抜け、教会の横を通り過ぎる。「イツワリエ」になるずっと前から暮らしがあった石造りの街。そうなった後も「世界」から離れて人が生活を営んだ美しい街。
 今やこちらの方が珍しいのだ。祖先たちがイツワリエに求めたのは安寧なのだから、その集大成とも呼べる塔の居住を選ばない方が。況してや絶対多数の賛同を得た、得ていなければ不可能な規模だ、資材も資源も「世界」の中心へと流れ出て行くのは必定だった。豊かさであるとか利便性、一部ならともかく総合的に捉えて「世界」に勝る場所はこの世界にもう存在しない。
 母は神の忠実な信者だった。父はそうではなかったけれど、目的を履き違えた陶酔だ、権威の象徴へと成り下がったのだ、と時折欺瞞を謗っては嫌悪に顔を歪めた。寡民を排して何が統一された平和だ、とも。その所為もあって幼時から塔への関心が薄かった私と言えば……分からない、未だに。正しい生き方。目指すべきあり方。最良とは常に妥協だ、とは思っている。何かを変える力なんて持つ筈もない一個の私は、どこかでぽっかりと開いた穴を抱えながら、そう思っている。
 街並みの、どこか私と近い匂いに得も言われぬ感情が渦巻いた、その時だった。
「リフィーチ、シノネラ!」
 その透き通った無邪気な声が私を呼び止める。振り返ると、タネィは大きな袋を背負って駆け寄って来ていた。「リフィーチ!」
「タネィ? どうしたの、見送りでもしてくれる?」
「ッリロ……ッリロ、ロク・トロガッタ・イト・ヴィーヴァ・クィ・ヌーミ!」
「……えっ?」
 たった一度、乱暴に発しただけの言葉だった。……恐らく「リロ」は一人称であるから、殆ど「私は巨塔です」と言う意味になってしまい、それは微笑ましい間違いなのだけれど、つまりは意味も分からずそっくり聴き取って、その上に発音まで模倣してみせている。彼女の芸当は私を大層驚かせた。そして、
「タネィも、来るの?」
 私が塔へと赴くのは最も実感があったからに過ぎない。落ち着かないのだ、場所であれ組織であれ今一ところにとどまる事は、私の中で何か蓋でもする様に諦念じみていて。すっかり生きると言うそれ自体が目的となった破滅的な世界で、例え最後に意味を得られずともこの旅は私の「生きる目的」であった。共同体に与するのは全面的に正しい。ただ私にとってその正しさが答えの代理にはならなかっただけだ。殆どを満たせる。満たせない翳がある。
 そう、塔は、わずかに残る私的な翳を満たすだけ。
 なのにタネィの表情が遥かに深遠な、それは果たして先刻と同一の少女かを疑うくらいの深遠なものをしていた。
「……シノネラ? ニ・マトロミ?」
 断る訳合いは私になく、タネィが旅を望むなら自らの好きにすればいい。現状の世界は厳しさだけを置いて沈黙している。試している。見届けている。世界と「世界」の衝突する地点、そこだけが口だと思う。そこはただの空間かも知れないし、未だに人々が集った大きな拠点かも知れない。或いは足を踏み入れたら最後、誰もが死に絶える魔境。また或いは、真実新しい世界への扉。そこにあるものがつまるところ世界の声だ。
「……うん、行こう」
 私は声を聞きたい。そしてタネィが声を聞く事、それを否定しない。
 小さな掌を誘うと、彼女はすぐに私と繋がった。
 
     / / / / /
 
「さむい、シノネラ?」
「ううん、寒くない」
 火を消した後、夜気はどこからも吹き込まない。防寒用に持参した毛皮と敷かれてある絨毯の様な布で充分だった。
 開拓の済んでいない平地に、野営の格好をした簡素な住居が立ち並ぶ区域。今日の宿は、まるで触れた事のない文化の中だった。星の恐ろしい場所だ、滅びの号令を待ち構えていそうなくらいすぐそこにある、どれを取っても。森の足跡みたいにまばらな低木がそこここで孤独と育ち、土は昨日の雨を早々と忘れたみたいにからからとした、そんな一帯だった。ここでミリオードを鳴らしたなら、どんなに似つかわしいだろう。
 一際大きな家を選んだ。内部を見回す、装飾品の類はなく、整えられていない木の支柱が天井付近に小さな円を残して上部で纏められている。家全体を覆う一番外側の布も、柱と柱の間に押し詰められた断熱材らしい干し草も、その天窓だけは遮らない。
 中央には煉瓦が四角に小高く積まれ、囲まれた部分は布も床材もくり貫かれて地面が露出している。枝の燃えさしがあった。暖房や調理の為の炉なのだろう、天窓の辺りがやや煤けていた理由だ。鍋や幾つかの刃物も隅に寄せ集められていた。すぐ裏に干し草や木が積んであったから少し頂いて炉に放り込み、手持ちのヴォルトックで点火した。
 近辺に水場は見当たらず、湯浴みは諦める。柱に括って渡した縄で、雨に濡れた汚れものだけ掛けておいた。それもやがて乾き、沸かした湯と粉と塩だけの粥で食事を済ませてから、寝る頃合いになってミトライカを二つも入れてやると火勢は即座に弱まった。
「さむく、ない」
「そう。寒くない」
 私がもぞもぞと動く音を聞いていたのか、タネィは私が眠れない原因を探ろうとしているらしかった。異文化の高揚感や様々の寂寥や、確かにまだ目は冴えていたけれど、不健全な由来ではない。説明するのは難しい。
「……あつい?」
「えっとね、暑くない……『暖かい』、だよ」
 
「クロ・ス・ラクラェ?」彼女の指の先にあったのは、ただの石ころだった。何だろうと思案していると、タネィは自分へと対象を変えた。
 旅路を共にしてから、それはすぐに始まった。その街に点在する十字路の、二つも過ぎない内だった。
「クロ・ス・ラクラェ? ……スア・ラクラェ・タネィ.クロ・ス・ラクラェ?」
 今度は私だ。察するに「これは何?」と言うのだろう。
「……スア・ラクラエ・シノネラ」
 満足そうに頷くと指はさっきの路傍に戻って、タネィは改めてそれが何かを訊いてみせた。自信を持って、ちょっと語気を強める。
「スア・ラクラエ・フォトノ」
「フォトノ?」
「うん、石ころ」
 タネィは巧みに私の言葉を吸収しようとしていた。そして彼女はやがて質問の際に単語を丁寧に並べなくなった。「クロ?」。そうすると自然に意味の錠が外れる事を、年端も行かない少女はよく理解していた。
 シノネラ、と呼ばれる。クロ? と返す。単純だけれど、私たちは〈タネィ語〉の正しいやり取りをした。それはとても、とても心地のいいものだった。
 やがて二人の間で会話が成り立つ時、その殆どが〈シノネラ語〉になった。
 彼女の驚くべき記憶力は、私が一度教えた語句を決して曖昧にさせたりしなかった。日常で目に触れる名詞は大方覚えてしまって、そうでないものもちょっと訊くだけでいい。
 反対にタネィの言葉は、想像していたよりも度を超えて難解だった。舌打ちや長短を使い分ける呼気、歯を鳴らす音さえも語を組成する分子らしかったので、差し挟まれる声でない部分で、私は四苦八苦する。尋ねられる度に私も同じものを尋ね返すのだけれど、どうにも成果は芳しくなかった。
「イオ、シノネラ! フルーフェン!」
 このところ不安定な気象が、その日は虹をもたらした。両脇に木々の豊かな道で、やや開けた休憩所の様な広場から、巨塔を貫いて架かるのが見えた。……虹。天と地の約束。残念ながら私はその伝説を表面的にしか知らず、またそれが「声」だとも思えずに、ただぼんやりと多彩なその弧を見上げる。
 直後に彼女は九つの言葉を口にした。それが色だと言う推察はしてみせたけれど、私の認識と三つも数が違っている。私の顔を仰ぐタネィに首を振る他なかった。彼女の発したどれが私の思う色に対応するのか判別のつき様がないし、そこまで高等な会話もままならない。齟齬がある事だけ伝える為に、六色の名前をそれぞれに言う。なのにどうしてか、彼女は充分そうに顔を綻ばせた。
「クロ・ミ・ローレ・ス・ラクラェ?」
 袋からリタートを取り出す。潤沢な赤い果実の名前を彼女はもう私の言葉で覚えている、だからそこで気づいた。タネィは色の話題へ誘導したのだった。
「……赤。リタートは、赤い」
 聡明な方法だった。そして覚えた色を使って彼女は更に聡明な方法を続けた。「シフォス・ト・シノネラ・トーネ・『あか』・レュム・『あお』?」
 殆どが耳馴染みのない語句でありながら、意図の掴みやすい質問だ。赤と青を並列して疑問形である時、それは恐らく、「……赤と青なら、私は『赤が好き』」
「わたしは、あかが、すき?」
 くすくすと笑う。彼女にとっては何か妙だったのか、汲み取れず首を傾げていると、タネィはやっと見つけた宝物みたいに嬉しそうにその言葉を差し出した。
「わたしは、シノネラがすき」
 屈託のない表情、純心の真っすぐな伝達。つい私も頬を緩ませてしまう。無垢な幼気な顔をしてその実とても利発な少女が、器用に得た語彙をまたこんなにも可愛らしいやり方で披露してみせるのだ。
「……ふふっ」
「シノネラ?」
「私も好きだよ、タネィ」
「ンン!」
 心の通わせ方を少しずつ、タネィは学ぶ。
 それに倣って私も同じ言葉を教わった。大事な言葉であった。
 
「……タネィ?」
 前触れもなく無意識に何かを知覚した様な、名状のしがたい寝覚めだった。周囲に軽く目をやるとタネィの姿はなく、出入り口に掛けられた布が若干ずれている。天窓に映るのはまだ明け終えた空ではない。
 体を起こし、少しふらついた足取りのまま外を覗く。タネィの姿を、熱に飢え切った焚き火跡の近くに捉えた。
「セノレ・クルーシリィ、スローク・マナド――」
 土の上でじかに足を折り畳み、塔に向けて手を握り合わせる彼女は、星月に粛々と照らされて一つの神聖な絵としてあった。全てが涼やかだった。
 眠りに就く前のささやかな会話を思い返す。「シノネラは、わたしのこころを、『あたたかく』する」、そう言ってからタネィは「シノネラ、すき」と悪戯っ子みたいにつけ足した。彼女はあれ以来、しばしば私にその気持ちを伝える様になった。私も応える、互いに最も届きやすい言葉で交換する。スクリ、タネィ。
 今、面差しはくっきりと違っていた。声はより透き通って、荒涼の地を吹き抜けて行く。見えているのは横顔なのに、瞳の深さがひしひしと感じられた。
 後に続く文言を変えながら、セノレ・クルーシリィ、が幾度か繰り返される。その響きを手繰った、覚えがあったのだ……クルーシリィ、は「神」だった筈だ。
 はっとする。ちょうどこの暁闇の頃だ。私がシノネラとして初めて迎えた、神罰の与えられた朝は。
 不思議なものでその日私は胸騒ぎに目を覚ました。どうも気が漫ろになって外でも歩こうとすると既に数人が同じ様にやっていた。或いは神罰の前震じみたものを感じ取ったのかも知れない、ちょうどそれから一〇分程もしたくらいだった。前後の繋ぎ目は光のごとくに曖昧にされていた。
 神罰は徹底した意味を持っている。替えの利かない外来語、固有名詞――それこそ〈ヴォルトック〉や〈ミトライカ〉の様な――、そう言ったものさえ一切の例外なく「独自の言語」に変換されてしまったらしい事は容易に察しがついた。
 二人の親友が居た。キロとポーラ。家系の出身国が共通の昔馴染みで、最近までずっと交遊していた。けれど記憶はちぐはぐだった。キロはポーラをピアノと呼んで、その後に彼が喋る内容はまるで聞き取れない。ポーラは自分の事を名前で言う癖があって、私見を述べる時、プラナは、と始めた。それも推察に過ぎない、脳内の彼女がプラナとよく口にしたから。そして二人が私に声を掛ける場合はそれぞれサニーレイとセンラだった。私はシノネラ語でシノネラと言うだけだ。本来の名前はもう失われてしまっているのだろうし、違和感すらない。
 二人は次元の歪み切った談笑をする。どんな話だったかは覚えているけれど、記憶と言う同じ枠内にあるものが全く合致しない気持ちの悪さは際立っていた。両親も露店の主人も、手伝いをしていた農場一家も。あまり思い出したくなかった。
 面識のなかったタネィの事は彼女の名乗る通りタネィとして受け入れている。現状を鑑みるに神罰は全土へ行き渡っているのだから、タネィも対象である筈だった。
 後に続く文言を変えながら、セノレ・クルーシリィ、は幾度も幾度も繰り返される。地上の誰にも伝わらない祈り。……そうやってずっと熱心に強かに、末期の世界で神と向き合い続けていたのだろうか。この旅の途中も、私が眠っている間に。
 室内を暖かくして待つ事も考えて、やめた。孤高であるべき時間だった。ただ、終わるまでは聞いていた。やがて訪れた静寂を破らない様に寝床へと戻った。
 私は彼女みたいに敬虔ではない。現状でさえ「神の御業」と妄信してもいなかった、超常的で、果たして説明のつくものでは確かにないけれど。それでもタネィの声が彼女にとって正しい場所へ届くといい。この行為が無意味であってはいけない。
 私も不敬な祈りを捧げた。


 →後編(2/2)