車窓を満たす海

思い出す。窓の外にはいつも、水面が揺蕩っていた。

我が故郷は悲しくなるほどに田舎だ。電車の沿線沿いに映る景色は自然が8割と言って過言ではない。シーサイドライナーと名付けられた快速電車は言葉通り、海の直ぐそばを線路が通っていた。
ガタンガタンと揺れる車内の片側は緑、片側は青に埋め尽くされる。

そんな美しい景色を、当然だと思って見ていなかった。十年前の高校生だった私のなんと愚かなことだろう。

いつも登下校の時は本を読んでいたのだ。文字の海に潜り込む方が好きだった。まれに深く沈みすぎて駅を降り間違えたり行き先を間違えたりしたっけ。
それでも、窓を薄く開ければ香る潮風は私の胸を明るくした。磯臭いそれが肺を満たす時は、希死念慮に満ちた暗い青春から逃れられる。
私は海が、大好きだった。

故郷を離れてからは視界から海が消え失せた。故郷では嫌でも目に入る存在だったと言うのに!
海が身近でない生活は寂しく、寂しさは望郷に結びついた。故郷に帰って空港に降り立った瞬間にも海は広がっており、変わらない風景などれだけ安堵しただろう?

さて、この春新天地に引っ越した。故郷と同じくらい緑に満ち、海の近い町。
引っ越して一ヶ月経たないうちに、最寄りの海へ自転車を走らせた。10分もせずにたどり着いた視界いっぱいに広がる海、足を包み込む柔らかな砂浜。

けれどそこに潮風はなかった。磯臭さなんて感じられない。

調べたところによると、面している海によっては磯臭くないという。
故郷にとてもよく似たこの場所は、やはり断じて故郷ではない。そう、突きつけられた心地になった。

最寄りの海を嫌いなわけでは決してない。けれど、私の思う海とは違う。刻み込まれた故郷の磯臭い海を求めてしまうだけなのだ。
疫病下で縁遠くなってしまった故郷の海を、できれば今年中に浴びたい。

出来れば高校時代、車窓を満たしていた海が私の心の中で枯れてしまうことがないといい。

そう祈りながら筆を置こう。

#わたしと海

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