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私が子どもに年齢詐称し続けるワケ

オンライン硬筆のお稽古のお題が「誕生石」だった日のこと。いずれも歳の似た3人の小学生生徒たちはこのお題に対して、「私は3月生まれ! 誕生石は何?」「私はおばあちゃんから誕生石をもらったから持ってるよ」などと嬉しそうにおしゃべりに花を咲かせていた。自宅の書棚から国語図鑑をいそいそと取り出し、誕生石一覧のページを見せてくれる子どももいて、授業はたいそう盛り上がった。

お稽古時間の30分が過ぎ、「さあ、終わろうか」と私が言ったそのとき、待ち構えていたかのようにひとりの生徒が叫んだ。「待って! 先生の誕生石は何なの?書いてないよ」。

ほかのふたりも「そうだ、そうだ。先生のも教えてよ」と言い出したので、ウソ偽りなく「2月やけんアメジストやな」と答えた。

するとたいてい次の質問は「何日?」だ。

ここから私はウソをつく。

「2月29日じゃ」

うるう年のことを知っている子どもはここで驚き、「ひえぇ」だとか「うわぁ!」だとか奇声をあげる。そりゃそうだ、365分の1の誕生日じゃなくて、1425分の1になるのだから、かなり珍しい。

そこで来るのが次の質問。

「じゃあ、先生は何歳なの?」

すると私は真顔でこう答える、「25歳じゃ」。

ここで子どもの反応は2種類に分かれる。「ふうん(25歳ってこんなもんか)」と質問をやめて納得するパターンと、「4年に1回しか誕生日が来なくて、今25歳でしょ。ということは…え! 何歳?」と先生は魔女か化け物かと疑いを深めるパターンだ。

ここまでくるとで私はお茶を濁し始める。「はいはい、もうお稽古は終わり。晩ご飯食べてきなサイ。また来週」。生徒たちはニヤニヤしながら、退出していく。

決して私は本当の年齢は言わないし、今後も煙に巻き続けるつもりだ。

それには理由がある。

私は徳島の小さな書道教室出身だ。今はもうない。師匠が高齢を理由に閉めることにし、引き継ぐ人がいなかったためそのままなくなってしまった。「落ち着きのない子どもやけん、書道でもしてちょっとはじっとしてなさい」と母親に引っ張って来られたのが理由で始めた。6歳の頃だった。師匠の名前は坂本貴仙。雅号の通り、ちょっと仙人っぽい風貌のおじいちゃん先生だった。

当時は書くことが目的ではなく、茶目っ気たっぷりの師匠とおしゃべりをするのが好きで通っていた。

子どもというものは、やたらと年齢を知りたがるもので、しょっちゅう師匠に「なあ、先生は何歳なん?」と聞いていた。師匠はだいたいこう答えていた

「わしゃ、17歳じゃ」。

それを聞いたとたん、子どもたちはいっせいに「ほんなわけないでえ!」「白髪があるでえ!」「シワもあるでえ!」「おじいちゃんでえ!」と失礼極まりない発言を連発する。子どもは鼻息荒く、さらに質問を続ける。

「ほな、先生、誕生日はいつなん?」

師匠はニコニコしながらこう答える。

「2月29日じゃ」

うるう年のことを知っている子どもは、上記と同じ反応で、目を白黒させ、「うそー!」と言いながらニヤニヤし始める。うるう年がよく分からない子どもは「へえ」と考え込む。何度も質問を繰り返している子どもは「ほうじゃ、ほなけん先生は4年にいっぺんしか年をとらんのんじゃ」と先生にかわって解説まではじめる。

師匠も師匠で適当な年齢を言っているだけなので、ときどき17歳だったり、18歳だったりと誤差がある。子どもはさらに突っ込む。「ほなんけんど、この前のぶくんには18歳っていよったでえ。なんで17歳なん?若くなんりょるんは変じゃ」

ここで師匠の子どもだまし術はますますエスカレートする。

「2月29日生まれの人は年が減ることもあるんじゃ。ほなけんわしは今年は17歳なんじゃ」

そんな事実は聞いたことも見たこともない。でも、字が上手で、仙人のようないでたちの先生だから、きっとそうなんだろう。すごいぞ。

とここまでくるとたいていの子どもは静まり返る。

そんな楽しいやり取りがしょっちゅう、特に2月になるとほぼ毎回のお稽古で繰り広げられる。ちなみに中学生くらいになると、どうも先生の言うことはウソらしいとだんだんわかってくるため、このやり取りに参戦する者はいない。敢えて黙っているという大人な対応ではなく、本当の誕生日や年齢を知っている者が誰もいないため、不確かなことが言えないだけなのだ。

このやり取りを通じて、坂本貴仙書道教室の子ども生徒たちは、2月29日は4年に1回だけ存在する日であること、それをうるう年と呼ぶこと、そして冬季オリンピックのある年にだけそれがあることを学ぶ。その話題になると、子どもが騒ぎ、まじめに字を書いていてもイヤでも耳に入ってくるため、どんなに小さい子どもでもそのことを知っていた。

時は流れ、今から8年ほど前になるだろうか。

師匠が亡くなった。老衰だった。

亡くなる数年前から右手が動かなくなっていたので、教室はすでに閉鎖していた。先生が入院していたことを知っていたのは、長く通っていたわずかな生徒たちであった。

「どこも病気でなかったんよ。ひとつひとつ、ゆっくり臓器が休んでいくように、静かに旅立ったわ」と最期を看取った、師匠の娘さんがお通夜で話してくれた。

お通夜の席で、久しぶりに集まったお弟子たちは当日のお稽古のことで盛り上がった。練成会が楽しかったなあ、みんなで肉まんを買って食べたなあ、○○さんの雅号の由来はなんなん、など。そこで、ふと師匠の年齢の話になった。

「ところで、先生は一体何歳で亡くなったのですか?」

娘さんは「87歳よ」と答えた。

40歳を越えるお弟子のひとりが「そういや、2月29日生まれだったなあ。87歳だったんじゃ」と昔を思い出しながら言った。

それを聞いた娘さんは「いやじゃ、お父さんったらほんなこと言よったん? あの人、2月生まれとちゃうよ」と言ったので、そこにいたお弟子全員が「えぇ!?」と驚いた。「ほんなら、誕生日はいつなんですか?」

「3月2日よ」という娘さんの答えに、不謹慎にも私たちお弟子は笑ってしまった。亡くなってもなお私たちお弟子を小さい頃のように笑わせてくれる師匠につい「もう、先生! あれ、ウソだったんじゃ」と眠っている先生に笑いながら文句を言ってしまった。

数年後、私は書道教室と子ども専用のオンライン硬筆を行う先生になった。字が上手になりたくて一生懸命頑張ったあの日々、書道仲間と一緒に励まし合ったお教室、墨の香り…坂本貴仙書道教室で得たいろんな思い出を胸に、毎日、子どもたちの笑い声を聞きながら文字の書き方を教えている。

話は冒頭に戻る。私は子ども生徒さんには本当の年齢を決して言わない。死ぬまでウソをつき続ける。それは生徒にとって忘れられない存在になりたいというエゴではなく、坂本貴仙先生の書き方を継承するとともに、先生が残した、勉強できて笑えるジョークも引き継いだお教室でありたいからだ。

先生見とる? 私、お習字の先生になったよ。

先生のジョークもちゃんと使いよるよ!

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