書道で海外起業~10年勤務した会社を辞めたわけ~
はじめまして。
2020年現在、バルセロナ在住4年目の里美です。
私の初めてのnoteブログでは、
私が海外起業するまでの道のりをかいつまんで書いていきます。
英語力ゼロ、スペイン語力ゼロ、生まれて32年間地元徳島から出たこともなかった田舎者が人気都市バルセロナでいかにして独り立ちできたのか。
「海外で生活したいけど、どうやって食っていったらええんか分からん」と悩んでいる人にとって、ひとつの参考資料になれば幸いです。
まずは私の職歴からざっくりとご紹介。
2003年~2013年 地元出版社で広告営業&編集業
2013年7月 フィリピン英語留学→世界放浪
2014年12月 セブ島英語語学学校マネージャー勤務(初の海外勤務)
2016年1月 バルセロナ移住→結婚
2017年1月 バルセロナにて書道教室オープン(初の海外起業)
2020年5月 オンライン硬筆ワールド設立
地元の出版社に10年間も勤務していました。
早朝から深夜まで、月曜日から日曜日までぶっ通しで働きました。
夜中1時の営業会議をガンガンこなしながらも、頭がもうろうとするなか、新規契約のため飛び込み営業。広告制作をしながら、月20本以上の編集記事を担当。あ、そろそろ季刊誌の営業が始まるなあ。いや、タブロイドの広告制作〆切をまずは越えなくては。まてまて、その前に月刊誌の営業会議があるから準備だ。
20代の青春時代をすべて広告契約と本づくりに費やしてきました。
私にはこれしかないと信じて突き進んできた道。
一生編集業と広告業で食べていくんだ。私にはこれしかないんだ。
でも、8年目が過ぎ、9年目を迎え、ひとつの疑問が湧いてきました。
「私、このままでええんかな」
振り返って当時の状況を客観的にみると、
広告業と編集業は自分に合っていないのは明らかなうえ、心から自分のやっていることが好きだと思えなかったため、会社のためにも後輩のためにももたもた迷ってないでさっさと退くべきでした。10年も勤めてしまい、むしろ老害の第一人者になっていたため、申し訳ない気持ちです。
世の中の人がFacebookを使い出し、ブログを書き、ツイッターを始め、インスタグラムで情報を自由に発信できる時代。今じゃ一般人がプロの芸能人と肩を並べてユーチューブでコンテンツを出せるまでになっているのです。私が出版業を志したときからずっと維新・革命が起こっている業界です。合わないと思うならいろんな業界にチャレンジしてみなくては!
悩みに悩んで、結局32歳で仕事を辞めることにしました。
10年やってきた出版業以外、私には誇れる技術も知識も経験も何もない私。
ここでようやく気付いた、名刺がなければ何もできない自分の姿。
自分はどこで働いているのかではなく、何ができるのか。それこそが重要なのに。
では、その何もない私が変わりゆく世界に食らいついていくために何が必要か。
まず手に入れようと思ったものが英語力でした。
英語さえできればもっといろんな情報を得ることができる。
働く場所が日本だけじゃなくて、アメリカやイギリス、うまくいけば世界中に広がる。
そこで、「英語 留学 格安」とググってみるとこんな言葉が出てきました。
「英語を勉強するならセブ島留学!」
え?…セブ島ってフィリピン?英語?どうして?
日本の片田舎から次に進む国がフィリピンだなんて。
仕事を辞めると決めたときから貯め始めたお金は300万円を超えていました。
この300万円でいけるところまでいくんだ。
こうして私は日本脱出の一歩を踏み出したのでした。
次は、フィリピンの英語留学で得たものをテーマにブログを書きます。
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