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島を守り支える、焼酎づくり。若き酒蔵 五島列島酒造の苦難と挑戦【旅先案内人 vol.27】

農業の担い手を増やすために。立ち上がった若き酒蔵

長崎の西に位置し、五島列島最大の島・福江島。五島列島は自然環境が豊かで、特に東シナ海に面し、日本でも有数の漁場でもあり食材の宝庫と呼べる島です。 水産業の他にも、農業、畜産も盛んで自然の豊かな恩恵を感じる場所でもあります。

海だけでなく、豊かな田畑も五島の特徴のひとつ

しかし、全国的な課題と同じく、人口減少、第一次産業の担い手の高齢化と減少など、さまざまな課題があるのも事実です。そんな中、農産物の出荷量を増やすことで島の農業を活性化させたいという想いから、2008年に設立されたのが「株式会社五島列島酒造」です。島で栽培が盛んであったサツマイモや麦など、島の素材を使った酒造りを行い、翌2009年から、麦焼酎と芋焼酎の出荷をスタートしました。

福江島で唯一の焼酎醸造所であり、島の期待を背負い立ち上がった五島列島酒造。今では、五島を代表する数々のお酒を手掛ける酒蔵ですが、決して一筋縄ではいかない、苦難の日々がありました。


逃げ出したかった・・・。ゼロからスタートした酒造りの、険しい道のり

五島列島酒造についてお話を聞かせてくださったのは、酒造りを行う、杜氏の谷川友和さん。

杜氏の谷川友和さん

「それまで、お酒造りは全くしたことがなく、焼酎が好きだったわけでもなくて。今もお酒は弱いくらいなんですけど(笑)もともと、道の駅のレストランで働いていたのですが、当時、地元の方々を中心に五島列島酒造をつくろうという動きがありました。設立当初、多くの農業従事者が株主として参加されました。せっかく原料を五島のものを使ってやるのであれば、五島の人間が焼酎をつくれたら、ということで、話をいただいたのがはじまりです。知識もなかったので、やります、とは簡単には言えなかったんですけど・・・。熊本へ修行に行って、いちから酒造りを教わりました。」

創設当時、五島列島酒造の株主の多くは、農業を営む方々でした。「今の所得のままだと、息子に家業ついでとは言えん。」と危機感を感じ、さつまいもや大麦を加工し価値を高めていく産業が必要でした。谷川さんの全くのゼロベースからのお酒造り。師匠と二人三脚で、五島での焼酎づくりに挑み、酒造立ち上げから、約1年後の初出荷のタイミングはあっという間に訪れました。

「はじめての出荷前、注目度も高かったので、マスコミも多くきていただいて。少しでも焼酎が売れればと思ってやってくれたことなんでしょうが、逃げたしたいという想いでいっぱいでした。まだ納得のいくものがつくりきれれていなかったけれど、出荷日は迫ってくる。本当に苦しかったです。

初の出荷は、芋・麦と2種類の焼酎をリリース。芋の方は、最初から非常に反応が良かったのですが、麦の反応は酷評ばかりが耳に届きます。というのも、麦焼酎をおいしくするには、寝かせる時間が必要だったのです。熟成が浅い中、初出荷を迎えるしかなかったため、納得のいく品質まで仕上げることができなかった。谷川さんは、後悔の残る初出荷を迎えました。

ともに成長した麦焼酎で掴み取った、金賞。

酒造りをする中で、今までで一番思い出深かった出来事を尋ねると、こんな答えが返ってきました。

「2011年に、麦焼酎が福岡国税局酒類鑑評会というお酒の評価会で、金賞を受賞したんですが、賞をとったなかで、一番嬉しかったです。実はこの麦焼酎、初出荷で評判が悪かったものから、作り方などは一切変えていないんです。最初がだめでも、熟成させたことで、いまは酒蔵を代表するお酒になってくれた。あの時諦めてやめてしまっていたら、この賞はなかった。一緒に成長してくれた気がします。」

厳しい評価をされ、苦境に立たされても、踏ん張れた理由を、”応援してくれた人がいたから"と振り返る谷川さん。決して、多くは語らない寡黙な谷川さんですが、ものづくりとひたむきに真摯に向き合うその姿勢や眼差しが、言葉の端々から伝わってきました。

"焼酎用の芋を作ってほしい"。続けたからこそたどり着いたいまの環境。

出荷当初から、唯一無二の味わいで人気を集めた芋焼酎ですが、売れ行きも軌道に乗ってくると、農家さんの減少もあり、今度は原料不足に悩まされます。それまで、芋の仕入れを一部の機関に頼っていましたが、個人農家さんとも契約を行い、生産者とも連携することで、焼酎のための原料をしっかりと確保していくことに。

「今まで、農家さんの少しの足しになればというくらいの量でしたが、"焼酎用の芋を作ってほしい"と言えるほどになりました。しかし、芋づくりは、かなりの重労働なんです。掘るのは機械でできますが、植えたり拾い集めるのは人間の仕事。農家さんには負担を強いることになります。それでも、つくってくれるひとたちがいる。私たちも、なるべく購入価格をあげて、恥ずかしくない金額で買い取れるように努力をしてきました。」

出典:五島列島酒造

そこには、当初の目標だった農業の活性化を実現している手応えが、確かにありました。谷川さんの造るお酒が、地域を引っ張っていく存在へと成長してきたのです。

「芋焼酎が評価されている要因ですが、原材料の"芋"の良さにあると思います。鹿児島や宮崎の芋焼酎に使われている芋は『黄金千貫』と呼ばれる品種だったり白っぽいさつま芋が一般的です。私たちは、島で昔から"かんころ餅"の原料として使用されてきた、甘みの強いさつま芋を使用したことで、他にはないものに仕上がりました。」

出典:五島列島酒造

五島列島では、古くから、さつま芋を茹でて薄くスライスし、カチカチになるまで干して「かんころ」と呼ばれる干し芋を作る習慣があります。かつて、迫害を逃れ移り住んできた潜伏キリシタンの多くのひとたちが、保存食として食べていたそうです。また、隠れるように移住をしてきた潜伏キリシタンは、厳しい環境での生活を強いられました。荒地で急斜面で米が育たない土地でも、たくましく育つさつま芋は、人々の命を繋いだ重要な食材でもあり、生産が盛んな背景には、歴史との深い関係がありました。

島の暮らしを支えたさつま芋が、島を代表するお酒として世界へと羽ばたいていく。まさに島の歴史と文化、そして産業を守る、頼もしいお酒です。

酒造りは、誰のため?島に寄り添い、届け続ける。

「まわりから好かれんと、売れないですよね。味もそうだし、人間的にも、会社的にも。横着したら売れない。伝える努力をし続けなければいけない、そう思います。」

地元では当たり前に売れると思っていた、と当時を振り返りながら語る谷川さん。最初は、めずらしさや応援で買ってくれる人も多くいたが、"地元の人に応援されていないと続かない”。そう痛感する出来事があったそうです。

「蔵開きという、五島列島酒造のお祭りのようなイベントをした時、全然ひとが集まらんかったんですね。もう、ガラガラ。島の人にちゃんと、理解してもらえていなかった。他所の蔵の人たちは、最初はそんなもんよ、と励ましてくれたんですが、心は折れましたね。それでも、辛い時期もずっと見てくれて、応援してくれる人がいたので、辞めちゃいけないと思って続けてきました。すると、徐々にひとが集まってくれるようになってきて。横着しちゃいけん。伝える努力を辞めちゃいけんと思いましたね。」

逆境ばかりの日々で、谷川さんを支えたもの。それは応援してくれる人の声と、お酒を飲んでくれる人たちの声だったそうです。

「島で居酒屋に飲み行った時に、全く知らないお客さんが、うちの焼酎おいしいと言ってくれていて。あれはものすごい嬉しかったです。思わず話しかけて、ありがとうございます、と伝えました。ああいう瞬間は、やっていて良かったなと、心底思いますね。」

ものづくりをしていると、時にはゴールを見失ったり、まわりからの厳しい評価に打ちひしがれることも、たくさんあります。それでも、立ち上がり、つくり続ける理由。それは美味しいお酒を待ってくれている人たち、酒造りを支える生産者さんたち、創業から応援をしてくれる人たちがいるから。その光景を思い出しなら、はにかみながら語ってくれました。

島で唯一の焼酎醸造所には、ひたむきで真摯なものづくりが、ひっそりとそして力強く、島を支えている。そんなことを感じる取材でした。

<お知らせ>抽選で、五島列島酒造の焼酎をプレゼント。

8月30日(水)に、私たち五島リトリートrayは開業から1周年を迎えました。五島に足を運んでくださったみなさま、遠くから応援してくださっているみなさまに感謝の気持ちを込めて、プレゼントキャンペーンを実施中です。

抽選で、五島列島酒造の五島麦、もしくは紅はるかを含む、五島の産品詰め合わせや、ペア宿泊券をご用意いたしました。みなさまのご応募、お待ちしております。応募の詳細はこちらをご覧ください。

五島列島酒造の焼酎と、五島の産品 ギフトセット

取材協力:五島列島酒造


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