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食わず嫌いのための『エヴァンゲリオンのススメ』


食わず嫌いのワケは?

こんにちわ、全国2千万人のエヴァンゲリオン食わず嫌いで未体験のみなさん。ご存知でしょうが、現時点でまだエヴァンゲリオンの最新作にして完結編である「シン・エヴァンゲリオン劇場版」が上映中です。(シン・コロ君も大活躍中ですが)劇場であっても、その後の配信であろうとも、ぜひご覧になることをおススメします。これほどの高みに達した素晴らしい作品を見逃すのは、まったく残念に過ぎます。

と、おススメしておいて、なぜ皆さんが今までエヴェンゲリオンを避けてきたのか想像してみます。

美少女だのロボットだのが出てくるアニメだろ?
マニア向けなんだろ?えらく面倒くさい話らしいし...
今さら見たところでワケ分かんないだろうし...
結局ウチらにには関係ないだろ、そんなもん。

なるほどその通りです。
それでも私が皆さんにおススメする理由を書いてみます。よかったらお付き合い下さいね。キチンとおススメしますから。


裸のエヴァンゲリオン

エヴァンゲリオンの真ん中には、一本の背骨が通っています。謎めいた設定や複雑な人物関係なんかをバッサリ切り捨てて裸にしてしまえば、作者である庵野秀行氏の骨身に絡みついた切実なテーマが迫ってきます。
私に響いてきたテーマを一言で言うと

「人が人を恐れる『心の壁』をどうやって乗り越えるか」

以上です。
意外じゃありませんか?ロボットアニメなのに、なテーマですよね。このシンプルな問いを、庵野秀行氏は全身全霊で問い続けてきたのだと思います。その問いの熾烈なエネルギーを想うと、私はクラクラします。「はい、だから皆さん見てくださいね」でお話を終えてもいいのですが、もう少し話を進めますね。

他人を恐れるからこそ人間

エヴァンゲリオンの突拍子もない設定の中から一つだけ紹介させて下さい。

「ATフィールド」というモチーフが出てきます。
「ATフィールド」は「Absolutely Terror Field = 絶対恐怖領域」です。それはまさしく「他者を恐れる心の壁」です。

エヴァンゲリオンの世界では、人は人である以上誰もが「ATフィールド」を持っている。でも「ATフィールド」を失くしてしまうと「人の形」を保てなくなり、溶解して「原子の生命のスープ」に戻ってしまうという設定になっています。

つまり、人間は他者を恐れる事によってしか「人の形」を保てない不完全な存在だと言うのです。

「お互いを恐れる他人同士がひしめき合う、こんな世界なんてゴメンだ。人間なんて不完全な存在なんだから、全部壊して作り変えてやる!」

エヴァの中には、そんな無茶を実現しようと計画する集団が登場します。不完全を許せず、100%思い通りにならないと満足できない。
それは「こども」です。
すべてが気に入らないから、オモチャ箱をひっくり返して踏み潰していくような破壊願望。

その破壊願望は、まさに「こじらせていた」過去の私自身と呼応するものでした。私はいま62歳です。37歳でエヴァンゲリオンに出会い、頭を殴られるような衝撃を受けました。こんな事が描けるのか。こんな風に描けるのか。これは心の深い深い奥にある黒いカタマリじゃないか。精神世界の描写と超絶のSFアクションが、くんずほぐれつスパークする。その両方の極端なギャップが、他ではありえない激烈な魅力でした。

そこから25年。
私の深いところにずっとエヴァンゲリオンは引っかかって来ました。その間、エヴァは蛇行し、錯綜し、混沌とし、解決不能になったのかとまで思えました。しかし庵野氏は、新作で登場人物に「これまでのすべてのカオスにケリを付ける」と言わせています。そして、その言葉の通り、見事にすべてに決着を付けたのです。


3度目の正直

そう、エヴァンゲリオンは、始まって完結するまで25年掛かっています。でも、25年間ずっと一本道でお話が進んできたワケではありません。一応は完結した物語が、少なくとも3度「語り直されて」います。

なぜ3度も語り直したのか。

実のところ3度とも、結末はある意味同じです。
「心の壁」の内側に閉じこもり、虚構の中に迷い込んだ主人公が、最後には現実の世界に戻って行く。他人を恐れて逃げ込んだ絵空事の世界から生身の世界に飛び出すこと。その絵空事、虚構の全体がエヴァンゲリオンです。

25年前のテレビシリーズの時も、そのシリーズの結末を作り直した旧劇場版2作の時も、庵野氏は本当の意味で、まだ大人にはなれていませんでした。

彼は、とんでもなく正直です。
自分が成長していないのに成長しているフリができない。その「大人になれない自分とは何なんだ」という自問自答の悶絶苦闘がエヴァンゲリオンという巨体を動かしているエンジンでした。

21世紀になり始まった新しい劇場版の4作目にいたって、遂に庵野さんは「大人」になった。還暦を越えた庵野さんが「やっと大人の入り口に立つ自分自身」を描いた。同じように「大人になりきれなさ」を抱える観客に、希望を手渡せるようになった。しかもズシリと持ち重りのする土の香りがする表現で。

この希望は感動的です。

私自身の中にいる「ふるえているこども」は、37歳でもエヴァンゲリオンに共振しました。62歳になった今、ケリを付けたエヴァンゲリオンが描く希望は、私の中にまだ残る「ふるえているこども」を成仏させ、浄化してくれるのをはっきり感じ取れました。


再び、食わず嫌いの皆さんへ

エヴァンゲリオン食わず嫌いの皆さん。
皆さんの中にも「大人になり切れず、ふるえているこども」がいませんか?ならば「シン・エヴァンゲリオン」は、きっと意味のある体験になります。なんの予備知識も、過去作の復習も必要ありません。大丈夫。一人の飛び抜けて正直な男が、自分の胸を切り裂いてあふれた暖かい血潮が、あなたの中の何かをきっと浄化してくれますよ。どうぞお楽しみに。


追記:
好事家の方に一言申し加えるならば、エヴァンゲリオンには、日本の過去の映画遺産、小津安二郎が、川島雄三が、岡本喜八が、寺山修一が魂を削って達した表現へのオマージュを見つける楽しみも控えておりますよ。






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