『noa』第三話「豊賀を築く」

「そのブレスレットはアップル・トューリー・タヴァンの一員である印だよ。他にはネックレスとリングがある。全部にそのトューリーのマークがついてる。黒のブレスレットは僕が誘った子、ネックレスはアイナでリングはジル。特に分けた理由はないんだけど、みんなブレスレットにしようって言ったらジルが駄々こねてね。独占欲強いよね、彼女」ユルは本当に楽しそうにものを語る人だった。
「もしルヒトとサラが今と変わらない気持ちを持ってマノアに出たのなら、僕らを頼ると良い。マノアを行くなら仲間は必要だ」
 ユルの目が好きだった。いつも、どこか遠くの方を見ていた。満たされているのに、この先に広がる未来に陶酔していた。私は、その瞳に憧れた。
 風が吹いて、ユルの袖が揺れる。白のブレスレットが見えた。
「じゃあ白のブレスレットは?」私は問いかけた。
「ああ」ユルは袖をまくった。手首をひねりながら数秒そのブレスレットを眺める。ユルの目が、やっぱり好きだと思った。「トューリーはね、マノアではニレの酒場なんて呼ばれることもあるんだ。ほとんど都市伝説みたいなものだけどね」
 ユルは笑った。「ジルが気にしていたのはこっちの方か。可愛いね、彼女。それと自信家なんだ、とっても」
 私は、手首に付けた黒のブレスレットを見た。

      *

「流石に野暮が過ぎるんじゃないか? メラキ」立ち上がりながらカジが言う。「過保護なんだな、トューリーは」
「それはこっちのセリフだよカジ。ユルが誘った子なんだ。他のギルドに持ってかれたとなっちゃことだろう? それに『君がどう思ったかなんて重要じゃないんだよ。私が私でいることそれ以外に重要なことなんてないのだから』」カジを蹴り飛ばした人影の正体は黒い髪を腰のあたりまで伸ばした女性だった。スラッとした体形で体のラインに沿った黒のパンツとジャケットがとても似合っている。
「ユルね。だと思ったよ。あとそれ、お前の処女作のセリフだよな。好きじゃねえんだよ、そのセリフ」
「そう? 私は初々しくて好きなんだよねえ。一周回って? みたいな感じ」
 カジは気が抜けたという風に頭を掻いた。「久しぶりすぎるからだろうが、あれだな。作家が自分の作品のセリフを日常会話で使ってるって結構きついな」
「それがいいんじゃないか」メラキは清々しい表情で言った。
 その二人の間で立ち上がる人影があった。メラキは立ち上がったルヒトの表情を見て、口をすぼめた。「本当に野暮だったみたいだねえ」
「あっち行ってろ」カジはシッシとメラキを手で払う。
 はーい、と言ってメラキはルヒトとカジの目に入らないところへと消えていった。
 ルヒトはただ立ち尽くしていた。内から湧き出る怒りを必死に戻しその反動で破裂しそうなほど身体が震えていた。
「中途半端は、もう嫌なんだ」消え入りそうな声が出た。
 思い出すのはあの日の光景。自分の拳に優しく手を添えて、生きた人間の顔面を蹴り飛ばすサラの姿。サラの言葉。
 ルヒトはサラとの関係が対等なものであるとは思っていない。いつだってルヒトはサラに寄りかかってきた。そして、対等になりたいとも思っていない。それは随分とちんけな子ども心だ。何と呼ぶにもまだ青い。ルヒトはただ。
 置いて行かれたくない。最後の最後の、その時まで―――。
 カジは大地が割れるほどに強く踏み込み、ルヒトのはるか頭上にまで飛びあがった。
 優しいなあ、カジは。ルヒトはそう呟く。内に激流を抱えながら、穏やかな表情を浮かべて。
『霊火を振るえ(しろはえ)』
 カジはルヒトに向かって青く燃える拳を振るった。先ほどまでのじゃれ合いとはわけが違う。意志を込めたマナ、カラマをもって、カジはマノアに君臨するグランドマスターの一撃を放った。その衝撃波によって、ビダーヤキャンプは半壊した。

     *

 ルヒトは夢を見ていた。
 青々と茂った丘。不思議な雰囲気を醸し出す人がいた。その雰囲気にはどうしようもないほどに心惹かれる魅力があった。しかし何といえばいいのか、顔がよくわからない。見えてはいるのに、その顔が記憶に定着しない。
 その人は石碑の前で手を合わせている。涙を流しながら。
 いつもより、景色が近い。
「」「」「」
 葛藤が流れ込んでくる。言いたい言葉はたくさんあるのに、言える言葉がない。
 何かを言えば届くような気がした。でもルヒトにも、言える言葉なんてなかった。
 するとその人は、全部を弾け飛ばすように笑った。思いっきり。まるで親友に肩を回すように石碑に手を置いた。
「お前がいなくても、この世界は楽しいよ」


「目が覚めたかな? ルヒト」
 その声を頼りに、ルヒトの視界は段々とクリアなものになっていく。顔が近い。濃いクマと垂れた目尻が気になった。
「ここはビダーヤキャンプの近くにあるトューリーのロッジだよ」周りを見渡すとこげ茶色の木材でできた天井や壁、謎の踊りをする木の人形、カラフルに発光する鉱石などがあった。天井や壁からはノリノリのラップ音が聞こえる。「ルヒトが早く元気になればと思って一番やかましい部屋に寝かせてあげたんだ!」
「俺もマノアにしばらくいればそうなるのかな」
「なるなる。カジに聞いたけど君なかなか面白いらしいじゃない」ういうい、とルヒトの方を両方の人差し指でメラキはつつく。
「そういえばカジは?」
「もう行ったよ。また会おうだってさ、ウィンプもカジが全部持っていったよ。今回は、君の負けだろ?」
 そっか。そうだね。そう呟いてルヒトは手のひらを眺めた。そしてその手のひらをゆっくりと強く握る。
「さて、初めましてルヒト。私はメラキ・コノム・オーベレ。この通りトューリーのメンバーだよ」そう言って人差し指に嵌められたリングをルヒトに見せた。「本当だったら君たちがトューリーに来た時にそこで仲間として出迎えようとみんな思ってたんだけどね、少し状況が変わった。ので、突然ではあるけど君にお願いがある」メラキが神妙な面持ちで話す後ろで、今も変わらずこの部屋はやかましく愉快であった。メラキはちょっと待っててとルヒトにジェスチャーをする。
 ドンッッ‼ ガランガッシャン‼ ゴォォバゴォォォォォォン‼
 ――。
 ひどく風の気持ちの良い朝だった。ルヒトは朝日に目を細めて、逆光により暗くなったメラキの顔を見る。薄っすら見えるメラキの表情に見惚れた。人間は皆、朝をこんな顔で迎えるべきだと本気で思った。
「一緒に行こう、ルヒト。私たちトューリーと一緒に。ただひたすらに進み続けようじゃないか! そして最後には、そこへ行く。どこを目指しても、何を欲しがっても、誰だって最後に据えられたそれを見てる。人の成せる最上級の達成。一緒に、noaを目指そう」
 そう言ってメラキはルヒトに向かって手を差し出した。その手を数秒眺め、ルヒトはその手に向かって右手を動かす。そこで初めて、自分の右手から肩にかけてやけどの跡が伸びていることに気づいた。改めて体に力を込めて、メラキの手を、ルヒトは握った。
 ルヒトは左手にある黒のブレスレットを見る。「ユルにこのブレスレットをもらった日から、ずっとつけていたから。俺も、サラも」
 メラキは笑った。垂れた目尻、濃いクマからはそんな笑顔は想像できない。人の顔に、見惚れてばかりだ。ユルの顔、カジの顔、そしてメラキの顔。ルヒトはこれまで自分がマノアへ向けてきた情景の正しさを確信していた。トューリーと一緒に、サラと一緒に、これから歩く旅路の名前は、noa.

       *

「どうしたらユルみたいになれる?」
「ん? 僕みたいに?」
「ユルみたいな目になりたい。ユルの目は、たぎってるのに穏やかだ」
 ユルは私を馬鹿にしたみたいに笑った。「サラは難しい言葉を使うね。んー、そうだな。僕の夢はね、トューリーのみんなの夢が叶うことなんだ。みんなの夢は、僕の夢でもある」私はユルの目を真っすぐ見てた。ユルは照れたみたいに頭を掻いた。
「言ってしまえば僕の個人的な夢はないともいえる。でもね、夢がないから、どこまでだって行ける。ひたすらに突き進むんだ。僕はみんなの路だ。先頭を走るのはいつだって僕。他の連中になんて、負けてやるもんか」
「わかるかな? サラ」ユルはそう言って笑った。

       *

「それで、状況が変わったってのは?」ルヒトとメラキは半壊したトューリーのロッジを後にし、バレリーナツリーという空が紫色に染まる平原を進んでいた。平原には花が咲き誇り、魔女の持つ杖のように禍々しく伸びる木々が点在していた。

“豊賀を築く”

 メラキ二本の指を立てて折る動作をしながらそう言った。
「ホウガを築く?」
 メラキは数秒ためて言った。「全員集合の合言葉だよ」
「未知を経由してこれからアップル・トューリー・タヴァンを目指す。さあルヒト、君のマノアでの最初の冒険だ。そして、先輩からのアドバイス。君はまず知らないことを増やせ、サラとの勝負に必ず勝て」
「知ってたんだ」
「仲間のマナでね。名前はサイネリア。ルヒトもアップル・トューリー・タヴァンに行けば会えるよ。彼は最高さ」ルヒトはメラキの話を静かに聞いていた。
「じゃあ俺は、サラよりも先にサイネリアと友達になる」ルヒトはサイネリアがどんな人なのか想像した。きっとその想像を超えてくるようなバカなんだろうと面白くなって笑った。「知らないことを増やすって言うのは?」
 メラキは指を一本立てた。「『知っていることが増えると、それ以上に知らないことが増える。』君は、知らないことが少なすぎる。例えばこの場所も、知らないことですらないだろう?」
「この場所?」
「この場所はね、ある人物が数日滞在した影響でこの色に染まったんだ」メラキはルヒトを見る。ルヒトは考えた。
 メラキと目が合う。「ほら今、知らないことがいくつも増えた」


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