自粛中に考えた、出前授業の明と暗

地元の小学校は「4年生の総合的な学習の時間」の授業を地域住民参加の出前授業として今まで3年間やってきました。私はその授業の「出前講師」をボランティアで請け負った住民のひとりです。出前授業とは、先生が授業するのに代わって住民の持つ知識や技能などを生徒に伝える授業のことを指し、まるで出前を頼んだかのように「授業一式お届けに来ましたぁ」と学校に来るからそういう呼び方になりました。

しかし今年3月発端の自粛と学校休業で、この「総合的な学習の時間」授業の今はまったく実情が分かりません。他の小学校では住民参加ではない方法で、それでも時間数を減らしながらも実施されているようです。

校長先生から、今後のやり方について相談するのはもう少し待って欲しいと言われたのは5月、それから2か月経ったもうすぐ8月前でもまだ連絡が無いところを察すると、とても小学校運営に余裕が無いのだろうと考えています。

好きで始めた出前授業講師のボランティアだったので、また再開されたら以前のように子ども達に生きもののことをいろいろ説明したいのはやまやまです。一方、自粛期間中に今までのことを冷静に考え直すうちに、果たして今までの出前授業のやり方を何も考えず再開して良いものかどうか、心配事に気が付くことになりました。なので次回の校長先生との打ち合わせ機会があったとしたら協議したいと思い、その論点をnoteしておくことにしました。

住民参加の出前授業の「明」つまりメリットは、学校の先生が教えられない知見や経験を子ども達に紹介できることが主です。また先生が苦手にすること、例えば虫が怖い先生の代わりに虫を捕まえて子ども達に見せて説明するとか、生け花センスの無い先生の代わりに上手な生け花づくりを手取り足取り教えるとか、そういうことも「やって良かった」と先生にも生徒にも思われているようです。

小学校も基本的にはそのような期待があって住民参加型の授業を開始したのが事の発端でした。しかしその先に今にしてみればここらで修正を検討すべき「暗」つまりデメリットも確かにあるようだと気づくことがいくつかあります。

その1.授業で説明することに追いついていない子どもがけっこういるのでは?

学習発表会でその事実が分かりました。説明したのにまったく分かっていない子どもがほとんどでした。

なにが分かっていなかったのか、「食物連鎖」のことを校内の原っぱで、生きものを見ながら説明しました、そのことについてです。学習発表会で「集めた落ち葉はどうしたらいいと思いますか?今まで習った学習から考えてみましょう」の問いに「ミミズやダンゴ虫に食べてもらって腐葉土にして花壇で使う」というようなアイデアをほとんど子ども達が気付かなかったと、出席した住民のひとりから聞きました。何回か手を変え品を変えして子ども達にこのアイデアのヒントを実地で教えたから、たぶん分かったハズと思っていました。でもそれは大間違いで、サッパリ理解されていなかったのが事実でした。

食物連鎖は小学校では6年生の理科で習い始めるようで、それをなぜ4年生に説明したか? それを知らなかったからです。これは授業を提供する側として、特に教育を管理する立場からするとケシカランこと!なのだと思いますが、住民参加の授業ではこの手の「行き過ぎ」がとても出やすいのです。

その「行き過ぎ」が出るたびに、子ども達の多くはついて行けない現象が起きてしまいます。これアタリマエですが、なぜそれに気づかなかったのか?

それは、それでもついて来る子がいるからです。出前授業で心掛けているのは、子どもの興味をひき出す、または興味を深めることだったので、もともと興味ある「先進的な子」はむちゃくちゃ食いついて質問してくるから、住民講師側もついつい高度な説明をしてしまう傾向があります。ここに落とし穴がありました。それに興味が無い子はもうつまらなくなって顔だけ前を向いてお耳は閉じてしまうわけです。でもプロではない出前授業の住民講師はそれに気付かず、食いつきの良い子ばかりに目が向かう。実は蓋を開けてみたら、食いつきの良い子よりそうでない子の方が多数派で、結局ほとんど説明した事は十分に腑に落ちない状態になったと思うのです。

これは先生も気づいていたようです。あるとき『あれじゃ子ども達わかんないようね』と担任どうしで会話したのを私は耳にしたのでこの問題がほんとの問題なんだと気づきましたが、先生方から面と向かって住民に「こうしてください」という話しは水を向けてみても出て来ませんでした。おそらくボランティアでやっている住民に遠慮があったか、上位管理者の意向を忖度して言わなかったのではないか?と私は考えるようになりました。

その2.住民参加の結果、先生の負担は増えているのではないか?

先生側から見た問題点は、この出前授業の住民講師達はボランティアだから、ということに他ならないハズです。教育委員会視点では、コストほとんどゼロでやれるからボランティアは歓迎だろうし、住民側もボランティアという参加方式に期待しているものがあります。

私の期待は露骨に言うと「私のやりたいように授業ができる」ということです。当然学校の正規カリキュラムの一環をやるのだから、我がまま自分勝手にできない事は言うまでもありませんが、私も含めてどの講師役住民も、住民の側から授業のテーマや内容を提案して、それを先生と相談してすり合わせして最終合意するスキームでやっています。これは出前授業としては当然のことで、そのテーマと内容だったら住民でもやれるので「やりましょうか?」と提案できます。逆に言えばふつうの住民ではこれ以外にやる手が無いわけです。しかし無償のボラでも、正規カリキュラムの一環で現実の授業で自分の知見を役立てることはとても嬉しいから思う存分「私のやりたいように」授業をやるというのが住民のモチベーションになっているのは間違いないです。

もし教育委員会経由で、お給料支払われて授業に対応する立場だったら、完全に校長はじめ先生方の指揮下に入るからこういうスキームはありません。おそらく先生側から計画書が提示されて、それに素直に沿った授業をするでしょう。しかし私も含めて普通の住民にそこまでの教育スキルレベルは持ち合わせてはいません。「私に出来ることならやりましょうか」が精一杯なのです。

だから先生方はボランティアでも引き受けると言った住民が投げ出さないように調整する必要があります。この調整の時間がかかることと、調整のために何か他を我慢しなければならない事情が生じてしまうらしい雰囲気があります。ここのところは先生方はまったく口に出して言おうとしません。言えない事情があるのでしょう、もし言ってしまい「ではもう住民参加はやめておきましょう」となってしまったら首が飛ぶとかの懸念があるのではないか?そんな感触が私にはあります。

その3.先生がやりたい授業の方向性と合っていないのではないか?

前述したことと関係しますが、先生とある日に別件で会話したとき、学校の先生はいわば社長さんのような存在で、受け持ちクラスではすべて采配を振ってクラスという会社をまとめ、授業という経営にあたっている、のだそうです。

だとしたらその経営現場に入り込み、1時間という短い時間であっても経営を握られることは由々しい事態と思われても仕方がないです。実際どうも授業中の先生の表情は満面の笑みではなく、作り笑いが感じられ、場合によっては不満表情を露骨に表している場面もあったようです。これは私だけでなく露骨な不満表情を感じたという後日談は住民からも直接聞いたこともあります。

そうならないように、事前の打ち合わせを!
しかしそうしたいのなら放課後の多分4時ぐらいからの打ち合わせ会議はうんと時間がかかり、住民側もなかなか首を縦に振らない個性派もいるので、先生もいいかげんカンベンして欲しいと内心思っている人もいるのではなかろうか。

自分の受け持つクラスぐらい、自分で何とかします!だから余計なことはしないで欲しい!こんな聞けない言葉が担任の先生方から聞こえてくるような気がするんです。

その4.ずっと今までの授業を続けたいのか、どこかでチェンジしたいのか?

私は2種類の地域チームに加わり合計4つの公立小学校の出前授業ボラに参加しています。だから学校によって方針に違いがあるのは知っています。ある学校は校長先生の推進の元に担任の先生が追従する方式、これをA方式と呼ぶことにしましょう。他に担任の先生が乗り気なB方式があります。これは担任がやりたいので校長はそれを許可しているというパターン。その他に、その学校の伝統になっていて校長が変わろうが新任の先生が来ようがPTAも揃って「この授業は辞めないで」というC方式の学校もあります。

私が気になるのはAとB方式の学校は、継続性に乏しいのではないか?という点です。B方式は一番危うくて、来年消えて無くなるかもしれません。私はニーズが無いならそれでOK、なぜやらないのですか!とは決して主張しません。担任の先生の興味とやる気しだい。だからB方式の場合は上に書いた不安もあまり無いのです。

C方式は、これは問題ありません。が、住民側も新人講師が不在なら、いつかは学校の伝統も灯が消えるかもしれません。

A方式の学校が一番分かりにくくて私は不安がいっぱいです。
なぜなら、前任校長はやる気いっぱいだったけど、校長が変わると学校方針もチェンジされるかもしれないです。だけどこのチェンジがいったいいつ起きるのか起きないのか、誰にも分かりません。担任の先生に聞いても校長先生の頭の中まで分からないのです。

校長先生もなかなか決断できない可能性があります。なにしろ着任は突然だから、着任早々ドラマチックなチェンジはでき難いのが実情です。特に今年は3か月も学校休業したから校長先生も担任の先生方もそれどころではないハズです。何も情報が学校から聞けません。それだけ上を下への大混乱なのだと思います。

それはそれで仕方のないことだから、この先学校が総合的な学習の時間の授業をどのような方針で行うのか?その情報は待ち続けてはいます。待ち続けてはいますが、住民側もそれぞ個人の事情があります。家族の事情も、今年と来年は感染リスクも、他に興味ある出来事だって出てくるかも知れないから、授業再開で講師のご用があると分かっているならこれを優先したいけど、無いなら無いで別の道を進むのも視野に入るわけです。

もし、今後の進む道をチェンジすると決めるならば、決めるのは授業再開してからではなくて、チェンジするなら、今でしょ!と私は考えています。なぜならもう停止しているからです。完全停止から別のテーマなのか何かの方向に先生だけで授業は動き始めているようなのです。

であれば、他のテーマ候補だってはたくさんあるし、授業の進め方はなにも住民参加しかないわけでもなく、様々なやり方があるのだから、この自粛という混乱を機会と捕らえて、「コロナのせいにして」さらにベターなやり方を先生方で協議して方向を出したら!?と私は考えています。

もうすぐ夏休み期間に入ります。
子ども達は休みですが先生方は今年は夏休みが忙しいらしいです。今後の授業をどうするかで職員会議なのではないでしょうか。その会議のテーマにかならず総合的な学習の時間はどうしようか?が入るハズと予想できます。

その会議では単純に今までの延長で再開をどうしようか?の議論ではなくて、住民参加でやったことの反省と改善を踏まえて欲しいと考えています。

できればその職員会議の前に校長先生と話し合いできればいいのですが。以前5月に「待っていてください」と校長先生から言われているので、待ち続けていますが、こっちから連絡するのがはたしていいんだろうか??

私は気を揉みます。

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