私の「トラウマ」体験 その4‐⑤

 12月10日(日)に保育士実技試験(音楽と言語)を受けてきました。これで保育士試験全てが終了し、後は結果を待つのみになりました。試験が終わり3日が経過し少し落ち着いてきたので、そろそろ「トラウマ」体験を書きたいと思います。
 前回の「その4‐④」では、男性調理師や交渉女性支援員、男性サビ管による一方的かつ理不尽な対応についての評細を語りました。「その4‐⑤」では、その翌日の出来事を中心に振り返りたいと思います。
 では、「その4‐⑤」を始めたいと思います。
 「同姓支援」開始以降、上記の3人の職員は私が何を話しても全く対応してくれない、そうしても見当違いであることから、私はこの日を含めずっと疲弊していました。ただ、そこから早く楽になりたかったのも事実です。その日の朝、私は就労移行支援Sに行きました。それから事務室に入りました。その時、男性サビ管と交渉女性支援員がいました。私はサビ管に言いましたー「同性支援をよろしくお願いします」。サビ管は答えましたー「ナイス自己分析!!」。女性支援員は黙ったまま何も言いませんでした。
 それから厨房の仕事に入りました。若い女性調理師は休みの日で、男性調理師ともう1人の女性調理師がいました。そんな状況の中で、仕事をこなし時間は過ぎていきました。そして厨房を出てその日の仕事は終わりました。そこを出てからロッカールームの間のことでした。私は突然、鬱と空虚感に襲われました。多分に同性支援という現実は変わらないことへの絶望感や怒り、焦燥感も含まれていたでしょう。
 その日の夕方に男性サビ管と当時の私の担当ソーシャルワーカー(以下SW)、私の3人でミーティングをしました。男性サビ管が上機嫌でSWの方と話していたことはよく覚えています。自分が公私において私を監視しているんだぞと言わんばかりの傲慢さを漂わせていました。ただその間中、私は早く終わらないかなあと考えていました。同時にこの日に生じた空虚感等を何とかしなければとも考えていました。その気持ちを行動に移すのにそんなに時間は掛かりませんでした。それは次回に取り上げる予定です。
 ここまでの話を読むと、不本意でも賛成したのだったら私にも責任があるじゃないかと思っていても不思議はないでしょう。それでも私には何も責任はありません。「同性支援」は立派な命令であり、命令ならば、私より上の立場である男性サビ管等(特にサビ管)に責任を持たせるのが、組織として社会としての常識だからです。しかし、男性サビ管はこの支援の説明の際に「自分のためでしょう⁈」と少しキレた口調で応えることで、私の自己責任にしています。「ナイス自己分析!!」と言ったのもその文脈からと理解できます。以上のことから考えると、「同性支援をよろしくお願いします」という私の一言は男性サビ管等に「言わされた」というのが最も理に適っていると言えます。また、交渉女性支援員が黙っていたのは、同性支援[男性(力ある立場)優位構造]を全く疑わなかっただけでなく、利用者である私(力ない立場)に共感できなかったからでしょう。女性という社会的に力ない立場を経験しているはずなのに、支援員のような力ある立場でその力を利用して力ない立場の人を支援できなければ、役割を果たしているとは言えません。そして、男性サビ管や交渉女性支援員、SW(力ある立場)は「同性支援」が私にとって理不尽と感じられても、自分からそれを乗り越えてこそ成長すると想定していたのでしょう。しかし、そのことは男性(力ある立場)優位構造になっている新自由主義や自己責任社会に福祉職が無自覚に加担していることを意味します。そういうことに福祉職は批判的でなければなりません。
 
ここまで読んでいただいた方に深く感謝申し上げます。
 

 
 


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