「凪のお暇」から見る母親像

読んでて胸が痛くなる作品が「凪のお暇」というマンガだ。

このマンガは主人公の凪が空気を読むことを辞めて自分と向き合っていくお話である。

この凪ちゃんが自分と重なる部分があって辛い部分もあり、客観的に自分を見れる部分もあってとても助かっている。



いらぬ正義感は潔癖症

「お前にとって「いい人」じゃない人間は

汚物として排除なのかよって言ってんの」

4巻に載っていた凪の元カレの我聞慎二の言葉である。


あぁ。確かに自分も自分の物差しで他人の「いい人」加減を計って接したくない人間を排除してきた。

そのお陰で向いている仕事と向いていない仕事の白黒がはっきりしていった気がする。つまり自分なりの正義感が強すぎて潔癖症なのかもしれない。私は人間不信なのではなくて、自分にとって「いい人」じゃない人は嫌いなだけだ。これは果たしていけないことなのだろうか。仕事関係、プライベートな関係でそのような人がいたらいっきに冷めてしまいどうにかして回避したくなる。

本当は潔癖な自分も大っ嫌いなのかもしれない。

自分に素直になることによって幻滅したくないのかもしれない。

恐らく本当の自分は偉くプライドの高い、いらぬ正義感を持ったお高くとまってる可愛げのない人間なのだろう。この文章を書くことだってすごく怖い。


母親との確執

もう一つ凪と私には共通点がある。

それは母親との関係だ。

凪は母親の顔色を伺って育ってきた。大人になってからも良い家に住み、スペックの高い彼氏がいると嘘をついていた。母親と何事もなくやり過ごすために。

私も子供のころは母親が怖くて怖くて仕方がなかった。

よく怒られていたし、自分が悪い子だから怒られてるんだと思った。母親とは良好な関係を築いていきたいと思ってるのに早く実家から出たいと思っていた。

凪は仕事を辞めて質素なアパートに引っ越してから母親と再会することになる。その時に元カレの慎二が、色々あって(割愛)現彼氏役となり三人で会うことになったのだが、母親に対しての絶対的な母親像が、よく見たら大したことないんじゃないかという描写がある。つまり、母親だって一人の人間だし、女性だということがひしひしと伝わってくる。母親は、再開する前から理想が高そうな人物であるという描写があったが、その理想も母親の実家の祖母の介護であったり、狭く煩わしい田舎付き合いから逃れるための手段でしか無かった。とても息苦しい生活をしていたのである。いつか娘が自分を地獄から救ってくれることを夢見て辛抱していた。

凪と凪の母親との関係を見ていると、自分の母親も一人の人間に過ぎないんだなぁと冷静に見ることが出来る。恐らく私の母親は、私の為を思って叱る、の向こう側に子育ての自信の無さからくる焦りだったり、自分の思い通りに育ってくれない怒りだったり、単なる機嫌もあったと思う。私が自分自身の機嫌をコントロールできないときに、まるで母親じゃないかと思うことがある。大人になってみて初めて母親の気持ちが少しわかった気がする。だからと言って、仲良くできるかと言ったらそれは別の話。今は実家から離れ、一人暮らしが出来ている。本当に良かったと思う。遠慮なく距離を取ることが出来るのだから。