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グラフィックデザインについて①

出会いから、今の考えに至るまでを、取り止めもなく綴る。

■出会い

1998年、グラフィックデザインという言葉を初めて知った。

父親の職業だったそうだ。
父とは3、4歳の頃に離れ、今はもうこの世にいない。

私は、絵を描くのが好きで、自分の気持ちを言葉で伝えるのが苦手で、
美大を目指した。
絵で暮らせる職に就けたらという、浅はかな考えからだ。

高校卒業まで半年を切ってから志した人間が
容易に入れる美大なんて無い。
舐めるな。

それでも、ケンカばかりだった姉だけは味方でいてくれた。
母の代わりに受験会場まで、高速バスに同乗し、ついてきてくれた。

姉は厳しい、私にも自分にも。
厳しくも優しく、いつも見守ってくれている。

■専門学校へ(新潟)

結果、姉も母の気持ちも裏切るかたちで
地元のデザインの専門学校へ進学。

2年という短い時間でグラフィックデザインの基礎を学んだ。

決して真面目とは言えない青春期、
グラフィック、デッサン、写真、あとはなんだったか。
まともに授業に出ないこともあった。

Macがまだ”Macintosh”だった時代、
そこで出会った。

熱し易く冷め易い私が、のめり込まない訳はない。
20年経った今でも、冷めていない。

言葉で気持ちを伝えることが苦手だった当時は
”代弁してくれるマシン”だと思っていた。

いまは、はっきりと違うと分かる。

Macが主役では無いということ。
鉛筆や絵の具と同じで、
ツールのひとつ、
手段のひとつ。

いまは、清書のときにしか触らない。

「IllustratorでPhotoshopでこんなことできます」、
「生成AIがこんなことまで」、
「いまのトレンドはこれです」…

知識や技術として身につけるのは良いが
順番を間違えないように。

■最初の会社(新潟→東京)

業界で活躍するグラフィックデザイン界の巨匠たちよりも
厳しく仕事に誠実な
最初の会社の上司たち(創業メンバー)を尊敬している。
今でも。

大手広告代理店から印刷物の仕事を請負い
制作から印刷入稿までを行う。

クライアントが代理店のディレクターへオリエンテーションし、
自社のディレクターがそれを代理店のディレクターからヒアリング、
それを自身が聞いて制作に入る、という流れ。

最初の会社ということもあり、
それが当たり前だと思っていた。

”有難い”とさえ思っていた。

パンフレット、ポスター、ロゴなどの印刷物全般、
ゲームショーのノベルティ、写真機のUI設計など、
幅広く携わらせてもらった。

たくさん叱られ、たくさん泣いて、たくさん学んだ。
常に劣等生。
優秀ばかりが集まるその会社で、常に。
後輩ですら脅威。

学校でいかに優秀賞を受賞したところで
現場では活かせない。
即戦力とは技術力のことではない。

学生起業してそのまま社会に出ることも
今では一般的になった。

どちらが良いとか悪いとかではない。

その環境でたくさん失敗して、何を学ぶか。

■1年間の修行

最初の会社で6年学び、心身ともに限界となり退社。
それでも会社や上司、同僚には、今でも感謝している。

自分の実力がどの程度、外で通用するのかを試すため、
派遣会社へ登録。

腕試しの目的もあって、
最短1日からの短期で、複数社を経験することにした。

個人事業主から大手代理店まで、
パチンコ店や鉄道会社のポスター制作、
ゲーム攻略本、旅行会社の冊子編集など…
細やかさや丁寧さが重視される現場から、
納期最優先の大雑把な現場まで、10社以上経験させてもらった。

終わりがない派遣の仕事。
登録当初から”1年だけ”と決めていた。
ゴールを決めておかないと抜け出せない、
か、最後にはきっと外される。

有難いことに、採用のオファーもたくさんいただいたが
すべて断った。

東京でのグラフィックデザインに別れを告げた。

■京都へ

2007年頃、淡交社が出版していた”京都に住まえば(愛称:キョースマ)”を本屋で読み、京都移住を決めた。

京都には、修学旅行で一度訪れた程度。

知り合いもいない
土地勘もない
仕事もない

でも行くと決めた。

今思えば、ここが人生の転換期。

先述の”キョースマ”には
京町家で暮らす人が紹介されていた。

”町屋に住んでみたい”
”まずはこの人に話を聞いてみよう”
と、募集もしていないのに連絡をとってみた。

その人は当時、
”おやつ新報”という名を掲げ
”おやつ”をつくる編集者をしていた。

記憶が曖昧だが、
キョースマに載っていたHPかメールアドレスから、連絡したのだと思う。

「本の出版パーティーをするので、良かったらそちらへ来てください」

それがその人からの返信だった。

これが、15年以上経った、今もなお続く、
”千香子さん”との出会いだった。

つづく…

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