母が死んだ話
母が死んだ。まだ63歳だった。
始めに断っておくが、別にこのnoteは慰めが欲しいとか、可哀想に思ってほしくて書いているわけではない。
ただ、父も早くに亡くして突如これから一人で暮らさなければいけなくなった私がこのまま一人で母の死をやり過ごしていたら気が狂うと思った。
それを避けるには何らかの形でこの感情とか、ここ数日の出来事とかそういうことを吐き出す必要があって、私は物書きの端くれだからこうして文章にすることで吐き出している。
後々親が死んだキャラを作るときに役に立つかもしれないし、それでなくても今の私と同じように親を亡くした誰かがネットの海でふらりとこの記事を見つけて、ああ自分は異常じゃないんだなと少し安心できるかもしれない。
まあこんな小恥ずかしい文章二度と読み返さないと思うが。というわけで推敲もしていない。そのつもりで読んでほしい。
母がなぜ死んだかというと、簡単に言えば病気だ。
現代日本において割とメジャーな病気である。詳細は伏せるが似たような病気は大門未知子辺りがよくオペをしている。
闘病自体は長く、寛解期間も含めれば10年は病気と付き合っていたが、体調が悪くなったのはここ半年ほどだった。
入院と退院を数回繰り返して、数日前に息を引き取った。
私が連絡を受けて病院へ行くのを待ってくれていたんだと思う。私が病室についてから数時間だった。
いやなんか、そういうのは別にいいのだ。レポを書いているわけではないので。
ただ本当に、もうなんか辛いのである。辛い。
よくドラマで「目を覚ましてよ!!」とか「逝かないで!! お願いだから!!」とやっているのを見ると思うが、本当にあれなのである。
頭の隅の妙に冷静な自分が「めっちゃドラマみたいじゃん草」とか言い出すくらいにはあれだった。
ここから私は「あ、これヤバいな」と思い始める。
医者に死亡確認をされてから頻繁に母が身じろぎや呼吸をする幻聴が聞こえ、手や瞼が動く幻覚が見えるのだ。
これは母が棺に入るまで延々と続く。生きていてほしいという願望が強すぎて脳がバグるのだと思う。
その他にも「もしかしてこれ夢なんじゃないか?」と思い始めたり、横に寝かされた母を見て「寝ているだけなのでは?」と真剣に悩んだりする。
あと死にたい。窓から飛び降りる、車道に飛び出すといった行動がいつも頭の隅にある。早く楽になりたいとこの数日毎日思っている。
そしてあらゆる人間が羨ましくなる。親が生きている人間、家庭を持っていて独りじゃない人間、道を歩いている老若男女が羨ましくて憎たらしい。
なんで私はこんなに辛いのに、毎日楽しそうに生きている奴らがいるんだ。立場交換してくれよ、と真剣に思う。
書きながらまた辛くなってきた。本当になんでこんなことばっかり起こるんだろう。もっと幸せに生きたい。あーーー全部夢だったらいいのになー!!!!!!!!
親が死んだ人間を襲う辛さはそれだけではない。そう、葬儀だ。
葬儀だけではなくてお役所の書類とかいろいろな手続きがあるのだが、いまはちょっと考えたくないし考える余裕も無い。緊急性が無ければ後でいい。
葬儀、何がしんどいって親が生きてる人間とか別に家庭を持ってる人間が当然のように「これから頑張らなきゃね!」とか「うじうじしてる暇はないよ!」とか言ってくる。うるせーーーーな知ってんだよ!!!!!!
こっちは数日前に唯一の肉親である母親死んでんだ。もっと他に言うことねえのかくそったれ。古今東西正論が人を救った事例は一つも無いってゲーミングお嬢様でも言ってただろうが。
大体こういう話は神妙に聞きつつ心の中で舌出しておく程度でいい。
今一番頑張ってて辛い人間に優しい言葉かけられない人間とかカスだからだ。お前の肩を抱いて一緒に泣いてくれる人間を信じろ。
葬儀の間はクソ忙しすぎてそこまで泣いている暇がない。
そりゃ泣くし辛いししんどいし、頭の中は何もできなかったという後悔ばかりになる。
だけど本気で辛いのは焼き場から戻ってきて家に一人になった時だ。
やることがない。いや、あるのだが、疲れて何もしたくない。
そんな時に「死んだんだ」という実感が高速で襲ってくる。
どれだけ頑張っても母はもう帰ってこないし、完璧にできるようになった駐車を褒めてはくれないし、今日葬式に来たおっさんの一言多い言葉を愚痴ることもできないのだ。
これからずっと一人なんだ、と突きつけられたような気さえしてくる。
それが辛すぎて私は今これを書いている。
ところで、我が家は宗教を信仰している。決して怪しいものではない。神道である。
この現代日本では珍しいと思うが、我が家は母子ともに真剣に信仰をしている。だから神の存在を信じているし、祖先は今生きている子孫をいつも見守ってくれていると信じている。
だからまだ気持ちがマシだ。
私が見えていないだけで母は多分今も横にいるのだ。
久しぶりにこうして文章を書いている私を「もう少しましなこと書きな」って笑っていると思う。さっきまでアホ程泣いていたのできっと心配をさせている。
そういう面では、やっぱり宗教は人の心を救うと思う。まあ辛いものは辛いのだが。母もキリストみたいに復活してくれないかな。
これ以上広がりそうにないのでこの話はこれで終わるが、最後にこれを読んでいる人に言いたいことがある。
まず、親が生きていて、親子仲が良好な人。
親のことを大切にしてくれ。
「いつまでもあると思うな親と金」とはよく言ったもので、本当に親は突然いなくなる。
きっとそれがいつどんなときでも「もっとああすればよかった」「なにもできなかった」と後悔をする。
だからなるべく親と過ごしてほしい。「恥ずかしい」とか「いい年して」とか思わずに、親と色々な場所に行って、色々なものを食べて、いっぱい写真を撮ってほしい。
それが絶対にいつか貴方を救う。「あの時楽しそうだったな」「こんな所一緒に行ったな」と思い出すことが「なにもできなかった」を多少和らげるだろう。
家族を亡くした人。
貴方が死にたいと思うこと、悲しいこと、目に映る他人を憎むこと、これが夢であってほしいと思うこと、疲れて何もしたくないこと。
全部間違っていない。全部正しいし、当たり前のことだ。自分が浅ましいとか弱いなんて思わなくてもいい。少なくとも今貴方の中で最も辛いのは貴方だ。私には誰も言ってくれなかったから、言ってほしかったことを貴方に言う。
だけど、それと同時に貴方のお腹が空くこと、喉が渇くこと、眠くなること、適当につけたテレビやTwitterの情報で笑ってしまうこと。
それらもまた同じように正しい。正常なのだ。
今生きている貴方が食事をして、寝て、何気ない事で笑って、日常に戻ろうとすることはとても正しい。でもそれが一番悲しいしさみしいと思う。
もう貴方には見えなくなってしまった家族はずっと時を止めているのに、貴方だけ前に進んでいくのは本当に辛い。死にたい、楽になりたい、何もかも投げ出して死ぬまで眠っていたい。そんな風に思うかもしれない。
でもやっぱり、家族は貴方に生きていてほしいのだと思う。
毎日起きて、笑って、泣いて、人間として生きて、できるだけ長生きしてほしいと思っているだろう。
貴方が家族にそう願っていたように。
私の親は生前「なんでもいいから笑顔で毎日暮らしてほしい」と言っていた。友達が少なくて引っ込み思案でマイナス思考な私を、きっと死ぬまで心配していた。
多分母は私が後を追ったらすごく怒る。怒って、でも「ごめんね」って言うのだと思う。私が母を喪ってどう思うか、恐らく母が一番よく知っていただろうから。
でも、精一杯頑張って生きて、そうして向こう、所謂あの世に行ったらきっと手放しで褒めてくれると思う。
「よく頑張ったね」「ずっと見てたよ」「偉かったね」って言ってくれる。
だからもう少しだけ頑張ろうかな、と思うのだ。
11月にFF14のパッチがあるとか、フォロワーと卓がしたいとか、十二国記完結するまで死ねないとか、そういう大したことのない「今死ぬと困る」を積み重ねて、どうにか生きていこうと思う。
そうして、胸を張って母に会いに行けるようになったら、もうこれ以上ないくらい褒めてもらうのだ。
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