これから、アルコール依存について

自分は、20歳ごろから問題飲酒が顕著になり、10年間で完全なアルコール依存症、そこから数年はいつ死んでもおかしくない状態でたまたま生きていたのでここに居ます。

健康診断では、人体のオーバークロックテストをしているように振り切った肝臓の数値がいくつも現れました。γgtpの数値はあんまり意味はないかも知れないけど、全く飲酒していない現在が数十で安定しているのに、常に4000以上でした。血圧も飲酒と不安、緊張で常に上が200以上でした。

アルコール依存症者の平均寿命は50歳くらいだと言われます。私も、お医者さんにそのことを言われました。体調面でも、精神面でも、行動面でも、アルコール依存症になると死がとても身近にあるのです。だから、アルコール依存症は「慢性自殺」とも言われます。

それでも、自分はいくら治療をしてもアルコールを辞められなかったのですが、大本の原因である、アルコール依存症者であった父親が死んだとたんパッタリと酒を飲みたくなくなりました。完全断酒に成功したのです。

今では、料理にほんの少しアルコールが残っていただけで吐き気がするほど酒に弱くなりました。そもそもの体質がこんなに酒に弱いのに、よくあれだけ飲めたなと驚いています。私は毎日ウイスキー700ml瓶を飲み干していました。

現在、酒を飲みたいという衝動は全く無く、仕事、家庭、趣味、運動、となんとかバランスをとって暮らせないか、と工夫して暮らしています。やっと、アルコールに奪われてきた人生を取り戻し始めた気がします。

なので、またアルコール依存症の治療を始めようと思いました。

アルコール依存症は、語弊があるのを承知で言えば、一生治ることはありません。吾妻ひでおさんの作品で「一度奈良漬けになった瓜は二度も元の瓜に戻れません」といったことが書かれていました。その通りで、私はいま必死にアルコール依存症ではない人のマネをしているアルコール依存症者なのです。

それ自体が、確実にストレスになるのは明白です。私は以前、快適だと思って酒を飲み続けていました。酒が無ければ人生はどれだけ寂しいかと思っていました。この、「快適」つまり「喜び」に人間は絶対に勝てません。

今の、酒抜いた快適な生活は必ずいつか自分に牙を剝きます。その間、私はアルコール依存症者である自分に全く目を向けず、その問題を軽んじ、放置し続けていくからです。

「スリップ」といって、一時は完全に断酒したアルコール依存症者が突然再飲酒し、命を含む全てを失うことがあります。何十年断酒してもスリップするときはするのです。

誰にでもある、強いストレスが人生に降りかかる時に、アルコール依存症者は無力なのです。何十年断酒してもアルコールが全てを無にしてくれると思いは決して消えません。むしろ、何十年も問題を放置したぶん、アルコールという怪物への戦い方を忘れてしまうのです。

私は、次に飲酒をすれば確実に死ぬでしょう。それも、医療につながる時間もなくです。

私は、朝目が覚めても夜まで生きているのか、毎日不安です。なぜなら、アルコール依存症者だからです。

その不安が私を生かしてくれる。だから、私はその不安と一緒に生きていくため、アルコール依存症の治療を再開することにしました。次に戦う相手は、「アルコールに勝った」と思ってしまう自分です。


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?