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空想と存在

私の病気がまだまだ確定してない時、自分が進行性の難病である事すら頭に無かった。

良かったりそうでもなかったりの繰り返しであった。

進行が少しずつではあるが為に、気にせず暮らして行けた時期があった。いいのか?悪いのか?は分からない。

でもある日、起き上がれなくなった時があった。

その頃はまだまだ神経の事は医学の上でも解明されてはいない時代だった。

検査入院して調べる事になった。
2ヵ月の入院であったが、もう1ヵ月と医師から言われた。
何も分からない事には変わりはないので、お断りして退院した。
その時の入院は写真やビデオまで取られ、あまり気分のいいものではなかった。

大学病院 ならではの仕方なさがあった。

それから何年かして、階段を下りるスピードが極端に落ちた。
その上、耳も聞こえにくい。
身体のいたるところに激痛も走り出した。

暫くは我慢していたが、大学病院からずっと診て頂いている主治医に相談した。主治医は神経の専門医では無い。
その場で即、大学病院の神経専門医に電話してまた入院することになった。

2週間の検査入院だったが、なかなか採取できないものもあり、気持ちを維持するのは難しい検査が続いた。

もし一つでも上手く検査完了されなければ、また元の位置にもどる。

そんな中でも、私の想像と空想が唯一の楽しめる時間だった。
悪い事より、良くなった時の想像と空想である。

病名がハッキリしたら、治るかもしれない。
もし、そうなれば何がしたいか?何処に行きたいか?

習い事も始めよう。専門的な勉強も色々やってみたい。

そんな空想が唯一の癒しだった。

そんな時間が過去にあったんだった。
そう言う想像と空想していた自分がなんだか懐かしい。

それまでは、自分の夢をいだくこともなかった様な気がする。
夢を持つことを避けていたかな……


   空想と存在


今はもう、それすら薄らぐ自分の心の中が垣間見えてくる。

長かったなぁ……

我慢することに慣れ過ぎたのかもしれない。

存在も薄らぎ消えていく…


私のいた時間



………………🍃





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