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[8.6]残り火は消えても、心の火は消してくれるな。

◆「残り火は消えても、心の火は消してくれるな。」

     
とつとつとした口調だけれども、力強い言葉をくれたのは、山本達雄さん。
       
僕がお会いしたのは、大学4年生のとき。テラ・ルネッサンスを設立する、その年でした。
   
場所は、福岡県八女郡星野村(現:八女市)。
   
この村で生まれ育った達雄さんは、陸軍に召集され、広島へ出征することに。広島には、「金正堂書店」を営む叔父さんがおり、何かとかわいがってもらっていたそうです。
   
そして、あの日、8月6日がやってきます。
  
新型爆弾が落ちたと聞いた、達雄さんは、いてもたってもいられず、広島市内へ。そこで見た光景は、ずっと心の中に残っているそうです。
   
そのすべては、僕がお会いした時も語ってはくださいませんでした。
   
大好きだった叔父さんたちを探しても、見つけることができません。
   
終戦後、福岡へ戻ることになった達雄さん。叔父さんたちと、最後のお別れをしようと、「金正堂書店」のあった場所へ。
   
すると、その場所に立つと、地面が熱いと感じたのです。地下壕に保管していた書籍に、あの「原爆」の火が、チョロチョロと燃え残っていたのです。
   
とっさに、持ち合わせていたカイロに、火をともしたのです。

「おじさんは、この火に殺されたのだ」

  
と、祖母に伝えるために。
   
自宅に戻り、祖母へ、この火を見せると、思いがけない行動を取るのです。
   
ろうそくに火を移し、仏壇に灯し、祈るのです。

「息子が帰ってきた・・・。」

祖母は、祈り続けるのです。
  
その姿に触れながら、山本さんは、この火を守り続けることを「覚悟」します。
   
夏でもこたつを出して、火をともし続けるなど、誰にも言わず、ただ静かに、ひたすらに、ひたむきに、火を守り続けたのです。

「憎しみ」の火から、「祈り」の火へ、
そして、「平和」の火へ。

祖母や達雄さんの静かな祈りが、火に込められた「意味」を変えていったのでしょう。
    
この火の存在が、新聞記者の耳に触れ、最終的には、旧:星野村に引き継がれ、今では、星野村の公園で、平和を願う火として、灯し続けられています。

「残り火は消しても、心の火は消してくれるな。」

福岡県で生まれ育つ中で、「原爆の残り火」の話を聴き、実際に達雄さんとお会いしたことが、平和運動を始める僕に、大きな影響を与えたのは、間違いありません。
   
どんなに世の中で紛争やテロ、平和とかけ離れた現象が起きていたとしても、平和を願え。
   
その実現のために希望を、心に灯し続けろ。それが、行動する勇気に代わる。
   
そんなことを、達雄さんは、大学生である僕につたえたかったのではないかと、感じるのです。
   
あれから、19年。
    
いろんな困難に出会ったり、紛争や様々な社会課題に、自分の無力さを感じたりしながらも、テラ・ルネッサンスの取り組みを続けることができたのは、達雄さんに灯してもらった、「平和の火」が、僕の中でささやかに灯り続けているからです。
    
これからも、「平和の火」を絶やさず、そして、多くの人々の、その火をテラ・ルネッサンスの活動を通じて、分け続けていきます。
    
いくら分けたとしても、元の火は消えてなくなることはありませんから。

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