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そしてはじまる。

夜中の2時、「ポチン」。お腹の中から聞こえた、破水である。
「パチン」でも「バチン」でもなく、弦楽器を小さく鳴らしたような「ポチン」。

出産予定日を過ぎて誘発剤を使うため、入院の予約をしていたその日の夜中。息子は自分でお腹から出るためのスタートを切ったのだった。

破水したらすることは分かっている。ナプキンを当てて、病院に電話だ。ところがどっこい、ナプキンではおさまらないくらいどっどこ出る。あわあわしながら、唯一持っていた特大ナプキンをなんとか、入院リュックから引っ張り出して装着。
電話する、そわそわ、そわそわ。「待ってたよー」と言ってもらってかくかくじかじか。
さあ、旦那さんを起こして病院へ。コロナだから、面会立ち会いはなし。時間外入り口でさよならバイバイ。

さてさて、なんだか痛くなってきた。陣痛か?これが陣痛か?ドキドキしながら陣痛室、暗闇のベットで過ごしていると、なんと、朝日が登って陣痛は去っていった。さよならバイバイ…。
朝ご飯を食べて、誘発剤を使う同意書にサインして。お昼ご飯を完食してからが地獄の始まりだった。

痛いのだ。とりあえず、とにかく痛いのだ。
知ってた、助産師だし、見てたし、励ましてたし、仕事だし。
でも無理だ、痛い、痛すぎる。
呼吸法?無理ゲーだった。呼吸法できる人、尊敬します。
兎に角、痛い。ベッド柵が相棒になった。離さないぞ、相棒。誘発剤を使ってるから陣痛の間隔が3分以上空くと、陣痛が遠のかないように誘発剤の量が増える。分かってる、知ってたし。でも、される側になると本当、勘弁してくれと心の中で叫んでた。実際は痛いって叫んでた。
2本目の誘発剤をはじめて、とうとう全部子宮口が開いた。さあ、陣痛室から分娩室に移動だ。お産着に着替えて移動だ。頭では分かってても直ぐには動けない。「待ってくれ、待つんだジョー。」ごねてから覚悟を決めて小走りで分娩台へ。
分娩台での記憶はあんまりない。ただ、どんな体勢でも飲めるようにと買ったペットボトル用のキャップ付きストローは、サイズが合わなくて結局使えなかったことを助産師さんに「onikuちゃんらしい」と笑ってもらったことは覚えてる。結局、病院でもらった曲がるストローをペットボトルに直接ブッ刺してお茶飲んでた。力水は飲まなあかん。
いよいよ、頭が見え始めたと言ってもらってから、いきむのと一緒に何かがめりめり下がっていくのは分かった。そして出た、息子だ。

「泣け!泣け!泣いてくれ!」

赤ちゃんが生まれて直ぐ泣かない恐怖は、仕事上嫌ってくらい分かっていた。それでも出て何十秒か、一呼吸か、少し勿体ぶって元気に泣いてくれた。「大丈夫、元気やで!」掛けてもらった言葉と泣いてる息子に涙が出た。それまで、陣痛は痛かったけど涙は出てなかったのに。元気に泣く息子の隣で、おえおえ泣くママになった私。29年生きてきてはじめて嬉しくて泣いた夜だった。

そのあと立派な胎盤もつるんとでた。普通より大きい位の立派な胎盤だった。まあ、よく仕事で見る胎盤だった。

分娩台で息子と2時間過ごして、トイレへ。
便座に座ったものの立てない。動悸がする。耳鳴りもする。やばい。ふっと気づくとトイレで座ったまま気を失っていた。ただただ疲れ切った結果、意識がなくなっていた。生涯1番疲れた夜だった。

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