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「いい子症候群」について

どうもAo木です。適応障害になり、発達障害も発覚したことを機会に
自己理解を深めようと色々な記事を読みあさっていました。その中でも特に興味を惹かれたのがこの「いい子症候群」。
今回は、自分の在り方への考えを整理しようと思います。

「いい子症候群」とは

簡単に言うと自分の気持ちや、やりたいことよりも親の期待や親が喜ぶことを行動の優先順位におく子どものことを指します。
いわゆる聞き分けのいい子供や、あまり手のかからない子供は大人からみるといい子に映りますよね。
しかし、そういった子供達が、この「いい子症候群」に該当する可能性があるのです。

「いい子症候群」の問題点

一見すると「いい子」なのだから問題はないように感じるかもしれません。
ここでは、その問題点について掘り下げていこうと思います。

その1:自分よりも親(周囲)を優先する
自分よりも親を優先するため、自分がやりたいことよりも親(周囲)が喜ぶことを優先します。この行動原理が身についてしまうと自分のやりたいことがわからなくなってしまいます。自分のことよりも周囲に嫌われないよう、期待に応えるようになっていってしまいます。

その2:親に反論しない
親や周囲が自分よりも優先すべき対象なので、反論すること=悪いことと言う風に捉えるようになってしまいます。ゆえに、反抗期のないまま大人になります。こちらも一見、問題なさそうに思えますが、反抗期がないと自分の欲求を満たすために努力することができなくなります。また、最初から諦めて自分が我慢することを選択するため、自発的に行動を取らなくなります。

その3:自分の気持ちがわからなくなる
周囲の反応を伺いながら行動するため、自分の気持ちや感情がわからなくなってしまいます。自分の感情がわからなくなると周囲から何を考えているのかわからないと言われるようになります。しかし、自分自身がわからないため、どう応えたらいいのかもわかりません。また、周囲の期待に応えることが一種のアイデンティティになっているので、それに応えることができない状況に陥ると、酷くストレスを抱え込んでしまいます。

いい子症候群にはこのような問題点が挙げられます。大人になり、社会に出るようになると、自発性のない指示待ち人間は無能のレッテルを貼られることが多くなります。また、幼少期のころに培われたアイデンティティは大人になったからと言って大きく変わることは少ないです。そういった状況は本人を大きく苦しめる結果を招いてしまいます。

僕の場合

休職をきっかけにこれまでの人生や生き方について振り返ったとき、このいい子症候群に当てはまることが多くありました。
ここの項目は自分自身の経験談になるので興味のない方は飛ばしていただいいて構いません。
僕は幼少期から親の言いなりだったと思います。特に母親からは厳しく教育を受けました。そのおかげもあって、学生時代は勉強はできる部類であったと思います。中学生くらいの時でしょうか。偏差値の高い高校、大学に入り、大手の大企業に勤める。もしくは公務員になることが良いことだと思い始めたのは。中学生時代の友人の中には、少しヤンチャな人間もいました。しかし、母親からそういった友人とつるむ必要性はないとのことから、一緒に遊ぶことを禁止されていました。当時は何の違和感もありませんでしたが、理想の息子像や過度な期待を押しつけられていた風に思います。また、中学生らしからぬ人生設計も親がそれを望んでいたから、思考停止で目標達成のために黙々と過ごしておりました。加えて、長男ということもあり、下の兄妹に対し模範的な兄でいなければならないと常に気を配っていました。
実家で、常に仮面を被り続けた結果、とうとう自分の意志なのか、Ao木家のなかでの自分の役割からの考えなのか境目がわからなくなりました。無論、反抗期もなかったため、親と真っ向から「会話」した経験はありません。
外部から見れば、理想の家族であったと思いますし、そのために尽力してきたと胸を張って言えますが、その代償は大きく、本当の家族であったかと問われると疑問が残ります。

転職を機に知ることができた

人生の転機はあるイベントに参加したことがきっかけです。
そのイベントは僕と同年代の人たちが自分のしたいことをカタチにするイベントでした。この時、こんな風に生きている人たちもいるんだと強く憧れを抱いたのを覚えています。後にこのイベントを運営していた企業に転職することになるのですが、そこで病んでしまい、現在に至るというわけです。
病んでしまった要因の一つに、自分の意志がない、わからないということが挙げられます。
今でも、私は社会的集団の中では道化を演じているような気がします。
集団の中でのポジションを認識し、周囲が思う理想の自分をやり遂げます。
できないことや自分には難しいこともやりますと返事をし、期待に応え続けようとしました。周囲の期待に応えることがアイデンティティだからです。そこに自分の意志と呼べる代物はありません。その自分の能力と周囲からの期待値のズレが、病むという結果を招いたように思います。

大事なのは受け入れること

幼少期の環境、特に最初の社会集団である家族での過ごし方は本当に重要であると思います。家族から巣立っていったあとも豊かに生きてけるように、理想像や期待を押し付けるような教育は良くないのかなと思います。
僕自身、いい子症候群に当てはまると思いますが、親がここまで育ててくれた事実は揺るぎません。そのことに関しては感謝しています。
しかし、一方で自分の意志や感情の乏しさから、豊かに生きることができているかと問われるとYesとは、言い難いのも事実です。上手に生きる術は身につきましたが、豊かな生き方ではないと思います。過去のことは変わらないので、そんな自分を受け入れて、この先どう生きるのかが大事だとそう思っています。