見出し画像

為せば成る

毎日、上手くいかないことが多い。

困ったことも多い。

それより、僕の人生自体が上手くいった試しがない。

それでも、一人なら敢えて失敗や喪失を恐れず、挑戦できる環境にあり、より工夫を楽しめている。

昔から新しいものが好きで、なおかつ、捻くれ者で飽きっぽい性格なので、同じことをするのが好きではなく、何時も違うやり方を探していた。

だからなのか、昔から孤立し易く、組織において、面従腹背のような態度を取ることができず、このような人生になってしまった。

それでも、少しずつ工夫して改善し、より完成度が高くなると嬉しくなり、どうすればもっと良くなるかを考えているだけで、呆け防止になるし、他にすることもない。

学校の勉強とは違い、答えは一つではないし、自分なりの山の登り方も無限にルートがあるようなもので、必ずしも最短ルートで登る必要もなく、のんびりと工夫して徐々に答えに近づけば良いと考えているので、焦りもなく、工夫を楽しめている。

それに、もう答えは必要としていない。

今までは、家族を守るために、強迫観念のように、完璧を求め過ぎていたような気がするので、これからは、リスクを取り、安心、安全と完全であることを求めないで、少しゆとりを持って生きて行こう。

破壊と創造を繰り返すのが世の常であり、完成と共に崩壊が始まるのなら、不完全であるほうが逆に当たり前で、安定しているのかも知れない。

子供の頃から、良いことからも悪いことからも、全てのものから学ぼうと考えていたので、河原の石ころは、なぜ丸いのかとか、なぜ、空は青いのかとか、なぜ、あの人はそういう態度と発言をするのかとか、全てに因果関係があると考えていた。

でも、科学で説明できることには原因があるけれど、人間関係は必ずしも原因があるわけではないので難しい。

一筋縄ではいかないことが多いからこそ、ゲーム感覚で、難題をクリアしていく感覚で、毎日、違った問題を工夫して解いているので、飽きることがない。

災い転じて福と成す、ことが日々の日課と楽しみになっている。

少しでも進歩して良くなっている感覚が精神衛生的にも良い。

人生が八十年として、その四分の三を生きて来ているので、残りの人生は消化試合のようなものだから、上手くいかず失敗しても失うものはほとんどない。

伊能忠敬や上杉鷹山のようにはいかなくとも、挑戦を楽しみ、どこまでも前のめりに生き、例え最後に指一本しか動かなくなろうとも、できることを探し、異郷の地で客死できたなら、それに優る満足はない。

人生は旅だと考えているし、どこまで行くことができて、どんな景色を見ることができたのかが全てで、それに尽きると思っている。

だから今日も、まだ、旅の途中で、まだ見ぬ景色があるはずだと考えている。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?