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「意味あるものに時間を投じたい」代表取締役CEO梅下が語る、キャリアのこれまでとこれから

こんにちは。
「10分で届く宅配スーパー」アプリを運営するOniGO株式会社採用担当です。

今回は、事業や会社のことではなく、社員のこれまでのキャリアやエピソードに焦点を当てた企画です。記念すべき、第一回は代表取締役CEOの梅下のキャリア形成、創業までの道のりについてインタビューしました。

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東京大学から大手メガバンクに就職し、海外での銀行立ち上げや、カントリーマネージャなども経験。起業家としても、楽天へのバイアウトなど、一見する華々しい経歴ですが、実はめちゃくちゃ泥臭い経験や失敗もしています。

ただ、そのことが起業家としての核になっており、「なるほど、ここでの経験がOniGOのこんなところに繋がっているのか!」と、まさに、”Connecting the dots”を感じるエピソードを聞くことができました。

OniGOに興味のある方はもちろん、起業を目指す方やスタートアップに興味のある方にとって、有益な情報と思いますので、最後まで楽しんでいただけると幸いです。

▼経歴

代表取締役CEO:梅下 直也(うめした なおや)
2002年:東京大学経済学部経済学科を卒業し、三井住友銀行に就職。
2002-2006年:三井住友銀行で支店対応や法人営業などを経験。
2006-2013年:ロシアで銀行立ち上げプロジェクトの中核メンバーとして参画。
2013-2015年:ヨーロッパ支店(ロンドン)にて欧州・中東・アフリカのカントリーマネージャーを経験。2015年に三井住友銀行を退職。
2015-2019年:カープライスジャパン代表取締役に就任。楽天にバイアウト。
2019-2021年:キャピタルドライブ代表取締役に就任。
2021-現在:OniGOを創業。代表取締役に就任。

▼実戦の重要性を感じた学生時代

--東京大学在学中はどのように学生時代を過ごされたかを教えてください。

東京大学では経済学部で金融工学の勉強をしていました。金融工学を専攻した理由は、当時、デリバリティブというのが流行っていたころで、単純におもしろそうという理由です。しかし、やってみて明確にわかったことは金融工学はあまり自分に向いていないこと(笑)
金融工学の世界は、理論としてはロジカルではあったものの、現実は違うと思う部分もあり、自分は実践家的な部分があるのだなと思いました。

学生時代に最も注力をしていたのは、硬式野球だったのですが、引退後から卒業まではベンチャーでのアルバイトに没頭しました。当時は日本でもライブドアなどベンチャーブームの真っ只中。とにかく、スピード感のあるベンチャーで、誰もいなかったところに人が集まり、新しいプロダクトができていくということにおもしろさを感じ、寝食を忘れて働くことに夢中になっていました。

--ベンチャーでアルバイトする学生時代を過ごされましたが、就職では最終的に三井住友銀行への就職を決められました。どのような就職活動でしたか?

元々、起業をしたいという思いから、ベンチャーでのアルバイトも経験していたわけですが、その経験を通して得た結論として、まだまだ自分には起業する力が足りていないことを痛感しました。ビジネスや企業経営が全くわかっていなかった。もっと経営のことを勉強していかないといけないとの考えから、就職活動では経営に近いところで経験が積める仕事への就職を考えました。

最初はVCや外資系金融に行くことも考えましたが、最終的には金融業界全体の裏側も知れて、幅広い業界と関わることができ、経営者とも近い仕事をしたいと考え、三井住友銀行を選びました。外資系金融のオファーは月収46万円+ボーナスに対し、当時の都銀初任給は横並びの17万4千円だったので、短期的には経済合理性のない判断だったと思います(笑)

▼葛藤を抱えつつも、底から泥臭くやり続けた三井住友銀行での新人時代

--三井住友銀行での新人時代は、支店業務や法人営業をご経験されています。どのような新人時代だったのか、ご経験されたことや当時の想いを教えてください。

入行した2002年は銀行業界全体が不良債権問題に頭を抱え、破綻回避に必死だった頃で、銀行の統廃合などが盛んに行われるなど、過渡期でした。不幸なことに、当時の三井住友銀行も、存続のために収益を上げることが最重要との意識が強すぎ、後の2006年に金融庁から業務停止・業務改善命令を受けることになる「優越的地位の濫用による金利デリバティブ販売」が横行していた時期でした。

「こんなことをやるために銀行に入ったわけではない」と同期が辞めていき、正直なところ、私自身も「こんな職場環境は変えるべきではないか?」と悩む時もありました。

ただ、当時の自分は若さもあり、「自らの過去の選択を正しいものにするかは、これからの行動次第だ」と言い聞かせることにしました。そして、顧客に対し付加価値を提供し、どのようにすれば顧客の経営に貢献できるを考え、アグレッシブな営業活動との「帳尻を合わせよう」としました。今振り返ると、改めて、色々な意味で正しくなかったように思います。ただ、かなりのストレスと葛藤を抱えつつも圧倒的に学び、顧客紹介や与信的に難しい案件でも、短期間で融資承認獲得するなど、顧客のために何ができるかを必死で考え、できることを実践する時間を過ごしました。

また、新人時代には、雑用に近いようなかなり泥臭いことから幅広い経験をさせてもらい、色々なことを学びました。最初はC向けの対応で悪質なクレーマーや一般的なクレーム対応も実践を通じて学びましたし、法人営業では飛び込み営業で顧客に需要のないところからクロージングまでもっていくという経験もしました。また、当時は支店統合などにより支店の引っ越しが頻繁に繰り返されており、年間で段ボールを運んだ数は業者にも負けていなかったのではないかと思います(笑)

このような泥臭い経験を20代に行ったことで、その後のあらゆる仕事が楽に感じたのは三井住友銀行で得られたことの一つです。
また、合併後の早急なシステム統合によって、大きく混乱したオペレーションやシステムによって当時は銀行窓口の待ち人数が100名を超えたりして(笑)、「この世の果て」のように感じていましたが、それが1年も経てば整備されていくことを目の当たりにしました。こうした「明けない夜はない」という経験をしたことは、その後の起業家としてのキャリアにとって重要なレジリエンス・忍耐力につながっていると思います。

▼グローバル対応力を身につけた海外赴任時代

--2006年からはロシアで銀行立ち上げプロジェクトの中核メンバーとして参画されています。ロシアでの銀行立ち上げの経緯や経験について教えてください。

三井住友銀行には、起業するため経営の勉強をするつもりで入っていたので、中小企業診断士を取得したりと、起業に向けた行動は続けていました。その中で、今後は起業家のスキルとしてグローバル対応力は必須になるだろう思い、海外で働いてみたいという想いを持つようになりました。

そんな想いを持っていた時に、ちょうどロシアで新しい拠点を作るというプロジェクトに企画書を書く段階から中核メンバーで参加する機会を得ました。
生きていくのも大変と言われるロシアという環境で、「銀行を一から立ち上げる」というのは大きな挑戦でしたが、非常にやりがいのあるプロジェクトでした。

今になって振り返ると、ロシアでの仕事、生活が楽しくて長く居すぎましたが、0からなにかを作って形にするというスキルを磨く上で非常に良い経験だったと思います。

--ロシアでの立ち上げ後はロンドンでカントリーマネージャーを経験されています。ロンドン時代についても教えてください。

ロンドンでは、欧州の洗練されたプロの金融家たちとしのぎを削りながら、EMEA新興国(東欧、旧ソ連、トルコ、中東、アフリカ諸国)における10億ドル規模の大型融資案件のアレンジャーの仕事を獲得してくるという役割を担っていました。そこでも、これまでの新しいことに挑戦するというスタンスは変わらず、民間信用保険を銀行融資に適用するといった、新しいリスクヘッジ手法を駆使したり、新興国のモニタリングの高度化みたいなこともやっており、数名で年間200億円程度の粗利を叩き出す、ダイナミックなチームの中核メンバーとして仕事をさせていただきました。

順調にビジネスを拡大していくことができていたのですが、ウクライナ危機が起こり、ロシアの顧客のほとんどが制裁対象になるという事態が発生しました。当時は、三井住友銀行内で「ロシアといえば梅下」みたいなポジションだったので、頭取から直々に調査、報告するように依頼され、毎日日報でロシア情勢を頭取や経営陣に報告するという危機管理業務を行なっていましたが、その中でもなんとか前向きな仕事ができないかを模索していました。

米国制裁によって三井住友銀行の損失がでないことが、ほぼ明確になったころ、「一矢報いたい」との思いが、より一層強くなりました。当時、世界最大の天然ガス企業「ガスプロム」というロシアの中核国営企業が、米国制裁の対象外となっていたので、「コンプライアンス上も問題なし、与信的にも全く問題ないので、ここにファイナンスすれば、短期的に圧倒的な収益があるだけでなく、中長期的なSMBCのプレゼンスを高めるチャンスなのではないか」と考え、上司とマネジメントに提案しました。


この発想をする時点で、すでに通常の銀行員を逸脱していたのかもしれませんが(笑)、幸い、当時の上司と欧州本部マネジメントの方たちは、本質的に物事を考えられる方が多く、「どうしたらできるかを考えよう」というスタンスで、検討してもらえることになりました。これが結果的に私にとって、銀行員最後のディールになります。

ファイナンスを実現させるための条件は非常にハードルが高く、本社の経営企画と連携しつつ、内閣府、金融庁、外務省、経済産業省、米国OFACに個別にコンタクトをとってもらい、お墨付きをいただいた後に、JPモルガン、みずほ銀行を巻き込んでクラブローンを組成しました。かなり大掛かりな仕掛けでしたが、結果ファイナンスをクローズできました。

ギリギリの厳しい状況の中でも突破口を見出すことができましたが、こうした自分でなければできなかった(と自分が信じている)ディール、仕事が自分のモチベーションになるな、と改めて感じました。


そして、このディールがクローズした直後に、三井住友銀行を退職し、次なる挑戦をすることを決意しました。

▼失敗から多くを学んだカープライス創業時代

--三井住友銀行を退職されてから、カープライスを起業されるまでの経緯や心境を教えてください。

三井住友銀行退職後は、身一つでロンドンから帰国しました。何かこれで勝負しようという起業アイデアがあったから退職したわけではなく、退職が先だったので、まずは起業準備に向けて、ライフワーク的にECのビジネスを始めました。ここでも学ぶことは多くあったのですが、これがすごい大きいビジネスになるとは思っておらず、自分としては市場規模の大きいところで勝負したいという想いがありました。

そんな中で、三井住友銀行時代に知人を通じて知り合った海外の連続起業家の一人が日本でオンライン中古車オークション事業を検討するためビジネス状況を視察するから手伝って欲しいという連絡があり、私が案内しました。そこで、案内していくうちに「これは自分がやるべき事業ではないか」と思い始め、彼からも一緒にやらないかという話が出たので、挑戦することにしました。これが、カープライスという会社を私が立ち上げたきっかけです。

--起業準備の期間に他のアイデアも考えられていましたか?

他のアイデアもありましたが、どれも市場規模の問題がありました。これまでの経歴を見てもらってもお分かりになる通り、私は常に自分が一生懸命に働ける場所を探していて、チャレンジングなものでないと燃えないタイプです。

自動車産業は日本の根幹産業の一つで、市場規模が大きい市場です。しかしながら、まだまだレガシーな部分が残っており、テクノロジーで効率化できる余地がある面白い産業でもあります。このことから、他の起業アイデアよりもカープライスを日本で立ち上げることを選びました。

--カープライス時代に苦労したことや失敗などがあれば教えてください。

99.9%は苦しい経験だったんじゃないかと思います(笑)これ以上失敗できないのではないかと思うぐらい失敗もしました。カープライスでやろうとしていたことは想像以上に難易度の高いビジネスで、特に以下の3つの大きな失敗を経験しています。

一つにはシステム開発における失敗で、カープライスではクイックにローンチするために、海外システムのローカライズを選びました。しかし、ローカライズしたことでレガシーなコードもあり、新しい機能をだすたびに頻繁にデグレ(ディグレード:新しい機能をリリースするとバグによってシステム品質が低下するような事象)を起こすという課題がありました。さらに、そこでエンジニアを投入するのですが、生産性が上がらず、むしろエンジニアを追加するたびに、優秀なエンジニアが教育に時間をとられる、コミュニケーションコストがあがるといったことを通して、生産性が下がるということも経験しました。

もう一つはファイナンスの失敗で、資本政策の失敗からファイナンスが難航しました。また、日本の投資家と海外の投資家の違いなど、日本におけるスタートアップビジネスの問題というのも非常に痛感しました。

最後の失敗は、採用・組織運営の失敗です。スタートアップはリソースが足りない中、スピード感ある成長が求められるため、「リソースが足りないから、採用しよう」となりがちでした。採用力が弱いスタートアップだったので、今ある採用候補の中で決定してしまおう、という傾向が強くなり「深刻な過ち」を何度かしてしまいました。
こうした失敗から、スタートアップの初期段階では「ポジションを埋めるために採用」するのではなく、「優秀な人でカルチャーフィットする人だけを採用」すべきだとの考えになりました。そうした人には、ポジションがなくても、最適なポジションを作る、というのがあるべき姿ではないかと思っています。

改めて振り返ると、本当に情けない失敗ばかりで嫌になっちゃいますが(笑)、こうした失敗経験を通じて、経営に関する重要なことを学び、キャピタルドライブやOniGOの経営に活かしています。

--カープライスをバイアウトされてからは、日本のスタートアップを支援する事業としてキャピタルドライブを立ち上げられています。こちらの立ち上げ経緯や起業理由を教えてください。

カープライスは、ブランド力のある会社と共にサービスを成長させることが事業として最善、という判断もあって最終的に楽天へバイアウトしました。

その後、カープライス時代に感じた日本のスタートアップ環境の問題解決をしたい、一般的なVCなどの投資家とは違う立ち位置で、スタートアップの資金調達を助けたいとの思いからキャピタルドライブを立ち上げます。ここでは、起業家本位での資金調達を実現するための助言や資本政策シミュレーションアプリの開発、よりプロトタイプがクイックに開発できるようなツールの開発を行なっておりました。このスタートアップを支援したいというのは私の大きなビジョンでもあり、OniGOの創業にも関わります。

▼もっと日本を起業家フレンドリーな国にしたい

--OniGO創業への想いや、ご自身が目指したいビジョンや創りたい世界観を教えてください。

キャピタルドライブでのビジネスは順調でしたが、この事業は支援者、サポーターのような立ち位置だったので、心のどこかでまた自ら事業をやりたいと思っていました。

そんな時、海外の起業家仲間から「欧米で急拡大するダークストアが、日本で広がらないのはなぜか?」という質問をきっかけに、国内市場と海外事例を詳細に調べることになりました。調査の結果、「これは日本ではとても大きな可能性があり、日本社会によいインパクトを与える可能性にあるビジネスだ。一方、こうしたビジネスを立ち上げる能力をもち、かつ、実際に立ち上げようとする日本人起業家がいなかったのだろう。」との結論に至りました。また折りしも、まさにそのタイミングで祖母が100才で他界しました。大往生でしたが祖母との少ない思い出を想起し「あと10分だけでも祖母と話したかったな」と強く感じました。時間は戻りませんが、人々の日常の10分を大切にする、そんなサービスであれば、残りの人生をかける価値があると考え、OniGOの創業を決断しました。


また、キャピタルドライブのような事業を支援する会社から、OniGOのような事業を行う会社を再度やってみようと思ったのは自分自身のビジョンも関係しています。

それは「日本をもっと起業家フレンドリーな国にしたい」というビジョンです。

まず、これまでの経験を通して私の思うこととして、「日本は起業家フレンドリーな国ではない」ということがあります。そのことが、まだまだ日本では起業が割に合わないこととされており、イノベーティブな起業家が出にくい環境にしている要因になっていると考えています。

この状況を変えていくためには、「安全な場所にいて声高らかに変革の必要性を訴える」よりも、「自らが起業家フレンドリーな投資家と共に、日本のスタートアップの成功事例を作る」方が有効だと思っています。

また、海外投資家の日本のスタートアップへの投資事例がもっと増えれば、日本のスタートアップにとってより多くの選択肢ができます。
そのような選択肢が増えることで、海外の投資家と日本の投資家で健全な競争環境ができると考えています。競争環境ができれば、自ずと起業家フレンドリーな資金調達環境に近づいていくと思います。

OniGOの創業には、OniGOという会社としてのビジョンやミッションと同時に、このビジネスを成功させ、日本をもっと起業家フレンドリーな社会にしたい、との一貫した思いも合わせて持っています

▼大切にしている価値観は「意味あることに時間を投じているか」

--ここまで学生時代からOniGO創業までのご経歴や将来のビジョンについてお伺いしました。最後に人生において、大切にしている価値観を教えてください。

「自分にとって意味あることに時間とエネルギーを投じたい」この想いがこれまでのキャリアとしても一貫してありました。仕事をする上で、他人がやっても同じような仕事をやっていても自分の中では燃えなくて、自分でないとできないのではないか、と思えることに挑戦したいし、社会的に意味ある事業に対して時間を使いたいという想いが強くあります。

OniGOも自分と共同創業者だからこそ、始められた挑戦だと思っているし、貴重な時間とエネルギーを投じるに値する、社会的意義のある事業だと思っています。そして、素晴らしい仲間とこの事業を本気で成功させるために、一緒に仕事をする時間は、自分にとってかけがえのない時間だと思っています。

これからも自分にとって、意味あることに時間を使うべく、挑戦し続けていきたいと思いますし、事業を通じて、お客さま、チームメイトや家族、取引先やパートナーにとって、意味ある時間を作り続けたいです。

▼まとめ

本記事では、代表取締役CEOの梅下のキャリアについてお伺いしました。

新人時代の泥臭い話から、海外での苦労、起業の経験談など、キラキラした経歴からは想像できない話も聞けて、個人的には非常に楽しいインタビューでした。

また、OniGOを形作っている価値観や戦略などがかなり過去の経験に紐づいていて、「なるべくしてなっている」ということを感じましたし、これからのOniGOが進んでいく未来についても確信が持てると感じました。

今回の記事は以上です。
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このnoteでは、今後もインタビュー記事や取り組みを通じて、OniGOをより深く知ってもらうための取り組みを行っていきます。

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