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時報

最近お笑いを見てる時にどうしてもインターネットにまつわるアレコレのワードが出てくる場面にえらい回数直面している。えらい回数よ、ほんとに、えらい回数、いにしえインターネット文化について、嫌でも思い出してしまうくらい、そういうワードたちに殴られつつも日々を生きているのですが、いや書きながらどういう状況?ってなったわ、どういう状況?そういう状況。

はじめてインターネットに触れた年は恐らく2007〜2008だと思います。うちにパソコンが来たのがそれくらいの年です。うちは共働きなのにも関わらず、私が特殊な小学校にノリで行ってしまった為、学童が存在していませんでした。ノリでそんなとこに行くなよ。学校終わったら児童館でクラスの男子とドッジボールするか跳び箱するかマリオカートでキワキワドリフト決めて男子全員ボコすかべーごまや缶のコマやベイブレードで男子全員ボコすかポケモンするか遊戯王かデュエマやってるのをぼーっと眺めてるか、ロディで廊下を爆走するかのどれかしかしてません。結構な確率でボコしてますが普通にドッジボールもガンガンやり合ってたし直接力比べみたいなのもガンガンやり合ってので実質猿山の大将みたいな女なのであまりよろしくないです。でも毎日児童館で遊べる訳でもなく、真っ直ぐ帰宅して家で親が帰ってくるまでぼーっと過ごさなきゃ行けない日もたくさんありました。そんな私の前に現れたのがインターネット。何より親がいない時間にインターネットを触れるという子供としては嬉しいけれど、いま思うとそんな野放しにしてて良かったのか?と考えてしまいます。

インターネットはどこから掘り下げてそうなったのかくっきりはっきりは思い出せませんが、恐らく小学校のパソコンの授業の時に誰かから流し聞きして輸入したであろうおもしろフラッシュ倉庫にそれはもう夢中で夢中で、覚えてもなんの得にもならないロコロコというゲームのOPの空耳歌詞が歌えるようになってしまうくらいには、とても夢中になっていました。銭金構成本🎶 おもしろフラッシュ倉庫を初めて見た日の衝撃はとても強く、去年、芸人にハマった時の感想が「おもしろフラッシュ倉庫を初めて見た時と同じ感動だった」になってしまったくらいには、、、、、

あとは親戚のお姉ちゃんの影響で見てたあいのりの先の展開が知りたすぎて あいのり ネタバレで必死にあいのりのネタバレを謳いながら何も書いてないアフェリエイトブログを片っ端から読み漁るという行為もしてました。あいのりネタバレブログのランキングから他の芸能ニュースまとめサイトに飛び、ひたすら芸能ニュースを読み漁るうちにワンクリック詐欺に引っかかって大泣きしながらYahoo知恵袋で鬼検索してそれは詐欺だから放置すればいいのアンサーを死ぬほど読み、心を落ち着かせ、親が帰宅する頃には何事も無かったかのような涼しい顔をする日々もありました。

健気だし、この頃から自分のケツは自分で拭くが徹底されてます。それは同年代の親たちに自立してるねってチヤホヤされてただけありますよ、私の自我の芽生えは周りよりもだいぶ早く、とても早熟だったと思います。その後の心の成長で遅れを取りまくって高校生がアイカツプリキュア狂いになってしまった話は、多分どこかで話した記憶があります。反動、衝動。そしてエターナル喪へ…………(最悪?)

2009年、私はとうとう自分のメアドを自力で取得し、ニコニコ動画のアカウントを所持することになります。おもしろフラッシュ倉庫を一生見てた私にとってニコニコ動画は宝の山で、ありとあらゆるものを、片っ端から見ていくようになります。それこそコメントが流れてくる楽しさを理解してからは散々みたおもしろフラッシュさえもニコニコにあるやつで見たりしちゃったり、ランキングからどんどん色んなものを辿っていったり、恐らく2015年までの6年間、ニコニコ動画を主戦場として全ての趣味娯楽を網羅してました。

エンターテインメントのタグがとても好きでそこから派生して音MADや空耳テニミュなどを片っ端から見たと思ったら踊ってみたを見て一緒に踊ってみたり、イヤホン推奨の歌い手聞いたり、そして最後の砦であったゲーム実況にとうとう手を伸ばし、ゲーム実況者のオタクという、今でこそ当たり前の文化かもしれないけれど、その時はグレーゾーンでかなりマイノリティっぽい、そんなゲーム実況という世界にだいぶ長いこと浸かってました。超会議も、闘会議も全部行ったし、ゲーム実況から派生してボードゲームのオフ会に入り浸って人狼系のゲームで狂人でもないのに喋りすぎて大暴れしたりもしてました。痛い!!!痛々しい過去のことが一生流れ出てくる!!!これはもう血だ!!!!血が止まらない人がずっと血を流してると思って読み進めて欲しい。苦しかったら今すぐブラウザバック!最初に⚠️あてんしょん⚠️って手書きMADみたいな注意書きをしなかったことを非常に後悔しております。続けます。無理な人は本当にブラウザバック。

状況が変わったのが2014年後半、任天堂がクリエイター奨励プログラムというものを提示してからです。ゲーム実況の空気がどんどん変わり、ランキングに上がってくサムネもだんだんYouTubeチックになってた途端に具合が悪くなってしまい、気づいたら色んな実況者がニコニコ動画とYouTubeの両方にあげる、もしくは移行をし始め、唯一の居場所であったニコニコ動画という形が崩れていくのを静かに眺めることしかできずにいました。好きな実況者に、○○さんはやっぱりYouTubeに移行しますか?と聞いた時に、俺はゲームが好きなだけだから、利益とかは別にいらないし、しないなぁ〜。と言われ胸を撫で下ろした記憶もちゃんとあります。数ヶ月後にYouTubeに移行して絶望しながらコメントのないYouTubeのゲーム実況動画たちを見てこんなの私が好きなゲーム実況じゃないと大泣きしてたら、周りもまあまあ同じ気持ちで、そろそろ潮時かなと全員色んなジャンルに散り散りしていく中で、仲良しな子たちが嵐好きだったから嵐を見させられてたのにニコニコ動画にあった二宮和也まとめ動画にでてきたフリーター家を買うのメイキングの横尾渉を見て、私はKis-My-Ft2のオタクになり、ニコニコ動画から足を洗いました。

ニコニコ動画に人生をかけ、ニコニコ動画によって、第二の人生に羽ばたき、そのあとはジャニオタとして過ごし、あたかもニコニコ動画の記憶はないように過ごしていたのですが、川島如恵留さんという、恐らく同じ時代、あの時代のニコニコを知る者が目の前に現れ、ニコニコに関するワードを何か言う度に笑いながら発狂し、狂ったようにニコニコ思い出話をTwitterでした後、めちゃくちゃ後悔をするというくだりを何度も何度もかましてます。何故なのですか?ニコニコに触れた物はあの時のニコニコの記憶に触れてしまうと、気が触れたように懐古をしてしまう後遺症を遺されてるのか?と疑ってしまいます。まあ七五三掛龍也と川島如恵留にmagnetやって欲しいし宮近海斗のモザイクロールトレス画は私の中に存在してますが……。

ニコニコによって羽ばたき、ジャニオタになった私は、ジャニオタを羽ばたき、スーパー原点回帰の如く、若手芸人にハマります。そもそもインターネットが与えられた時にニコニコでAGEAGEに関する動画を片っ端から見て、GyaOに大変お世話になってたので、お金を自由に使えるようになってお笑いに行き着くのは当たり前のような話です。自然の摂理。自分でも納得してました。たまにジャニーズ見つつも、基本お笑いを見て笑って平凡に暮らしてた はずな のに〜(シンデレラガールの岸くん?)

なのになのになのに!!!!!!!!!!!!!またニコニコ動画に関わるワードを使う人たちをお笑いの中で目撃してしまったんですよ、それもひとりじゃない、複数人、複数人が、それに関わるワードで笑ってる現場を目の当たりにした私は、その言葉を聞いて大爆笑すると共に閉め切ったはずの箱の鍵をぶち壊されこじ開けられ、あろうことかほじくり返され、笑っているのに泣きそうな、でも感情が感情しすぎて感情すぎるような、そんな感覚に陥る日々がここ最近続いております。楽しい、楽しいけど楽しんだ分の過去ブーメランが全部私に刺さるので泣いてしまいます。高齢化☆高齢化の文字を見た時にはこれ同じ速度でらんらんるーしようと必死でやったなとかそんなことまで思い出してしまって頭を抱えました。やだやだやだ、の気持ちと、やだと思い出と居場所と青春が詰まってる文化たちが満を持して私の人生を華やかに豊かに笑わせてくれるターンが来てくれたのかという気持ちと、もうぐちゃぐちゃです。ぐちゃぐちゃですか、私が誰かにニコニコの話をしてる時に伝わるかなぁ…と、前置きを置くような事柄で笑いが起きてて、自分も笑えるのは非常にいいよ、そのために見てたんだと思ったら、見ててよかったに変わってくる、考え方が大事です。あれ、なんかドナルドの音MAD見てたら急に眠気が来ました。最悪な終わり方ですがここらで一旦、筆を置かせて頂きます。

おしまい

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文字が人に評価されると嬉しいので泣きます