豊島理喜治の足跡を訪ねる

塩尻市の桔梗ケ原のグランドに石碑がある。豊島理喜治翁と書かれた石碑。
これがただ置かれてる石碑ではなく重要な葡萄との関係にあるとは誰も知らない。たわいもない雑談が調べるきっかけになった。あの石碑って知ってますか?知らない?へ?本を読みました。塩尻に葡萄を最初に植えた人で醸造をした人で不況の煽りを受けて倒産、では醸造所ってどこにあったのか誰も知らなかったのです。そこで豊島理喜治の出生の山辺から調べる事にしました。山辺では庄屋の息子だったのですが、この父が松本市のお城の周辺にあった勧業寮、多分監獄
では無いかと思われる場所から苗木をもらって来て自宅に植えた事が始まりだそうです。理喜治さんはアメリカに渡り葡萄の勉強をして帰って来て山葡萄でワインを作っていたんだそうです。山葡萄が手に入らず困っていたある時群馬県の妙義山の小沢善兵衛の研究施設に1年間研修生として入り一年後に地元山辺の自宅に葡萄を植え結果を見てこれはいけそうだと確信して塩尻市の桔梗ケ原の地に葡萄の苗を3000本植えた事から始まります。これが明治23年の事です
次回は明治23年の後の話をします

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