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水に恋する七瀬遙のフリーとは?-「Free!」FS観る前の感想②


このアニメの初見時は、当時若かったのもあってか、七瀬遙達に感情移入できないまま「水の描写が美しい」や「繊細な感情表現をするな」というそれだけの感想しか出てこなかった。

しかし今回見返すと、今までと感じ方が違い感想が大きく変わったのでここに書き留めておく。

“呼吸”を代償に得た“自由”

泳ぐことは、人間の日常と似ている。

知識と技術を使って手足を動かしながら、光も音も歪んで届くような人間とはどうしても分かり合えない“水”という地獄を掻き分ける。

時々水面の境目スレスレで酸素と太陽光を素早く取り込み、そしてまた地獄の日常に戻る。これを繰り返す。ひたすら繰り返して前に進んでいく。

水は残酷なまでに無関心なほど我々の生息を拒むが、自由さは受け入れてくれる。精神を解放させるのも、逆にキツく絞めあげるのも、誰かの意思を受け継ぐことも、逆に受け取らないままでいることも、全て自分次第。

ここは不登校児の人間力を散々奪う罵声や、無回答のYahoo!知恵袋が映し出されたスマホの光、いじめはサラリと見逃すくせにボタン止めてないとかネクタイ忘れたことにはいちいち突っ込まれる立派なクソお規則で着なければならない制服、逆らうことは許されない絶対的な権力をもつ重力すら場違いで、人類にとって一番大事な“呼吸”と引き換えに“自由”を手に入れる。

“自分”と“自由”。

汚くて最低かもしれない、いやもはや高尚すぎて触れられないかもしれないような、最高の芸術と一対一で戯れられる。

泳ぐことは、飛ぶこと、作曲すること、絵を描くこと、生きること。

冴え渡った視界からあえて歪んだ視界に飛び込む、でもその先の世界は自分次第で自分は何者にでもなれる。

それは二つの眼だけでは到底見えないし測り知れない。

ぶっちゃけアニメでリレーを泳ぐ4人のイメージ映像は「そんなわけないやろアハハ〜」と、初見時は少しだけネタとして笑っていた。

でもあの感覚と景色は、人が何かを求めて勇敢に飛び込み、畏怖しながらも強かに前に進み続けた先やっと手に入れることができる美しさだと、やっと鮮明で強烈な毒を刺されたように気づいた。

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僕は夏は大嫌いだけどフィクションのノスタルジックな夏の概念は好きで、男は基本的に嫌いだけどあぁいう男の友情関係についての羨望はずっとあるからつい悲嘆と嫉妬とどうしようもない憧憬があり、泳ぐのも水着も反吐が出るくらい大嫌いだけど自由な無限空間を揺蕩うのと水の殺意すら抱く無関心なまでの無容赦無許容さは好きだから

「Free!」におけるリレーは、水へ飛び込んだらその先は有限から無限へと羽化し、何者にもなれる権利が誰にでもあることを、青春の痛みを伴いながら教えてくれた。

今の自分がこうして「Free!」を観て、リレーのシーンで初めて遙達の気持ちが理解できた気がした。

これこそが“フリー”なのだ、と。

水になりたい、水に恋する七瀬遙

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主人公の遙は泳ぐことも水も好きなんだろうけど、何より水になりたいんだと思う。

アニメ1期、遙は恋バナを振られた際、滝について語っていて、正直初見時はギャグとして捉えていたが、今観ると遙は大いに本気なのだろうと思った。

きっと遙は泳いでる時、「人間など捨てて水になりたい」くらいの気持ちなのだろう。知らんけど。

空になれない鳥が空に恋しながら飛ぶように、音になれない人間が音に恋しながら作曲するように、水になれない遙は水に恋しながら、しなやかに泳ぐ。

ときめきと勇猛さと、そしてアンバランスさを孕みながら。

死に最も近いスポーツ

水は猛烈に好きだが、水泳は大嫌いだ。

水泳なんて僕にとっては、常に死と隣り合わせである人間がさらに死に近づく恐ろしいスポーツでしかない。

今までやってきたスポーツの中で最も死に近いスポーツだ。

学校の授業なんかだと、水着という公開処刑の姿、しかも泳げないのに必死に水の中でもがく地獄、それを人に見られるというまたまた公開処刑の姿。

基本的に全ての動作がとろい自分は昔から移動教室が苦手で、着替える時間や濡れた身体・髪を拭いて乾かしてどんなに急いでもたった10分という時間では間に合わない。

…とまぁ水泳なんて数々のトラウマがあり、複数の意味で死に近いクソ・オブ・クソだけど、水は好きである。

「Free!」は、自ずと嫌いになりかけていた水を、また好きにさせてくれた。

「Free!」は夏以外に観るべし!!!

当時は「まだ自分はいける。努力すればなんとかなる」と思い込んでいた。

僕はしょーもないことにも極端に反応してしまうから、アニメで憧れた“普通の高校生”という生き物にはもちろんなれなかったのだが

結果、無理で絶望したけど、それでもまぁいいでしょう。(と、それくらいの気持ちもたまには持ち合わせようと思えるくらいには成長した)

このアニメは、観た季節や年齢によって感じ方が全然違う。

それはどの作品だってそうだろうけど、「Free!」は特に、だ。

「Free!」のTVアニメは全部夏に放送してたけど、彼らの夏をリアルの自分の夏と共鳴させるのが苦手で、くわえてフィクションの夏の方が好きなのであれば

「夏以外の季節に観るべきだったな…」と今なら思う。

ってかむしろ、夏以外の季節にきっとまた見返したくなるだろう。

熱帯夜で暑苦しさの中「夏なんて滅びろ」と呪うのに、いざ凍える雪の季節になった頃には夏の熱帯夜が恋しくなるようなアレと全く同じやつです。

当時の僕に「Free!は夏以外に観るべし!!!」って教えてあげたい。

というわけで、これから劇場版 Free!-the Final Stroke- 前編を観たいと思います。

早く後編を映画館で観たい!!

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