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完璧なカッコよさよりも、少し欠けたかわいさを愛したい

世の中のイメージとして、「男性 = カッコいい、女性 = かわいい」というものがある。

最近はだいぶ薄れてきたかもしれないけど、ジャニーズ(とはもう言わないのか)アイドルと秋元康系のアイドルを比べると、印象としては誤っていない。


カッコよさとは、完璧であることだ。

なんでもできる。なんでもこなせる。プロである。

人にはできないことをやってのけて、しかもそれをひけらかさないことがカッコよさだ。


かわいさとは、欠けていることだ。

少し抜けている。天然である。失敗する。

人ができることが上手くできず、でも悪びれない様子がかわいさだ。


モノに関しても同様。

カッコいいものは直線的でシャープ。

かわいいものは曲線的でふわっとしている。


どちらが好みかは人による。


私個人としては、かわいいものを大切にしたい。

少し欠けていても、それも含めて愛したい。


欠けているということは、劣後していることではない。

欠けていることも含めてその人であり、
欠けていることも、その人の立派な魅力なのだ。


もちろん、あまりに欠けている部分や、生活に支障が出る部分は埋める必要はあると思う。

でも、だからといって欠けていること自体を否定する必要はない。

できているところにも目を向けて、欠けていることを受け入れたうえで乗り越えていく。

その姿勢に、私はその人の魅力を見出す。

だから私は、完璧なカッコよさよりも、少し欠けたかわいさを愛したい。


自分自身に対しても同じ。

完璧なカッコよさを目指すのではなく、自分の欠けている部分を認めたうえで、それも含めたかわいい自分を愛したい。


「可愛い」とは、「愛することができる」と書く。

自分や人のかわいさに目を向ければ、その人を愛することができるようになるのかもしれない。

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