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駄菓子屋でお菓子を借りていた頃

 私自身は覚えていない小さい頃のことである。生前の母がよく話して聞かせてくれたことがあった。今から遡ること60年ほど前のエピソードである。

 当時は今のように車も多くなく道の真ん中を歩いていてもさほど危険はなかった。もっとも田舎の街だったからかもしれないが。幼かった私は、母の目を盗んでは家を抜け出し、てくてくと歩いて知り合いの駄菓子屋さんへと向かうことがよくあったらしい。駄菓子屋さんまでは幼い子供の足でも5分も歩けば着いてしまう。そして、店の中に入ると気に入ったお菓子を手に取って毎回同じセリフを言っていたようだ。

「おじさん、これ貸して」
「おお、照ちゃんか。いいよ、持っていきな。気をつけて歩くんだよ」
「うん、わかった」

 気のいい駄菓子屋のご主人は、いつものことだと気にすることもなく代金をもらうこともなく送り出してくれていたらしい。そしてまんまとお菓子を手に入れた私は、そのまま家とは反対の方向にてくてくと歩き出して知らないお家に上がり込んで遊んでいたそうだ。知らないお家に平気で上がってしまう癖があったようだ。

 そうとは知らない母は、私がいなくなっていることに気づき、慌てて駄菓子屋さんまで走って来たそうだ。そう、駄菓子屋さんに寄ることは既成事実として出来上がっていたらしい。そして、案の定お菓子を持って行ったことを聞かされ、代金を払い、どっちに行ったか聞いて、そこから毎回捜索していたらしい。

 見つかるのが早い時は駄菓子屋さんを出た直後、道の真ん中を歩いている私を母が連れ戻したこともあったそうだ。しかし大抵はどこかの家に潜り込んでしまっていたようで、毎回苦労して探していたと母は言っていた。どうやら人懐っこかったようで、子供がいない家でも歓迎してくれていたので問題にならずに済んだと母は言っていた。

 ある時、いつもより遠い海の方に友達も連れて行ってしまったことがあったらしく、泣いている友達だけが海岸で保護され、もしかしたら私は海に流されたのかもしれないということになり本格的な捜索活動が実施されたこともあったらしい。その時は友達を放り出して、海辺の見知らぬ家に上がり込んで遊んでいたということだった。

 残念ながら幼過ぎる頃のことなので私の記憶には残っていない。おそらく怒られていたとは思うのだが。後にことあるごとに母親から「大変だった」と聞かされていたので、きっと事実だったのだろう。なんとも危なっかしい子供だったようだ。

 そんな危なっかしい子供は今では孫がいる身となっている。当時の駄菓子屋さんも無くなってしまい別の家がたっている。その駄菓子屋さんには同級生もいたのだが、すでに連絡もとれなくなり、時の流れを感じずにはいられない。



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