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目標って

 最後にnoteに投稿したのがあまりにも前な気がして遡ったら去年は全く、どころか一文字も書いていなかった。言い訳を並べ立てるとしたら「忙しい」「パソコンに向かう時間は仕事してた」「何なら家に仕事持ち帰ってた」「ていうか最終的にキャパがオーバーして上司の貴重な一時間を使って不平不満その他諸々半泣きになりながら吐き出したこともあった」なのでnoteに投稿どころではなかったのである。そもそも自分に優しくする時間すら満足に得られていないのだから社会人2年目って大変なんだなあと家で作業しながら思っていたくらいである。
 ちなみに近所の神社の外塀にあった看板によると数え25歳の去年はシンプルな(前厄でも本厄でも後厄でもない)厄年だったらしくて、3月に椎名林檎のツアーの札幌公演を2回も観れた以外の点においてあまりにも良くないことの連続、体調しかり人間関係しかり挙句一番しんどかった夏の記憶はほぼ無いときた。私が自身を「2023年の夏もちゃんと存在していたよ」と唯一証明できるのは、JOIN ALIVEに行ったという記録がSNSに残されているおかげだ。ファインプレーすぎる。

 兎にも角にもこのままじゃ2024年もまた同じことの繰り返し、今回ばかりはもっと深刻な事態になりかねないと思って、今年の元日に目標を立てた。目標を立ててしかもそれをSNSで公開すれば守らざるを得ないだろという安直すぎる考えを持てるのは私の長所だと思っているのでそれを利用しないわけにはいかない。

 とりあえず大きなテーマを決めようと思って、何がいいかなと思ったときにまず昨年末の自分のツイートを思い出した。「【Instagramのストーリーの既読】とかめちゃくちゃどうでもいいけど気にしちゃいそうなことを気にしないようにしたい」みたいなことをツイートした気がする。めっちゃ気にするんよな。そういう些細なことを気にしない、いつも余裕みがほしいってんで、決めた。テーマは「泰然自若」。落ち着いて動じないとかそういう意味。でも不調な時は絶対にあるからそういう場合は無理しないでねという注釈付き。この注釈、意外と大事だと思っている。

 「無理をしない」と口にすることはできるけど、実践できるかと言われたら中々難しいものがある。仕事に行けばそれなりに人に気を遣うし、プライベートだって生活をやめるわけにはいかない。そして公私のバランスがうまくとれなくて綱渡り、みたいな状況がわりと日常茶飯事な気がする。私の職場の先輩はそれをうまくやっているなとは思うのでもしかしたら私だけかもしれないけれど。自分、不器用なんで。

 で、そのバランスがどうしても保てなくなる時があるの。いつもはギリギリだけど保てているのに体調とかメンタルとかで「ええい、もうどうにでもなれ!」みたいな。そういうときに自分の立てた目標にがんじがらめになってると更に苦しいわけね。負のループ突入、一生這い上がってこられなさそう。星野源は楽しい地獄で待っててくれるけど、こういう時片足突っ込んだ地獄は怖い顔の鬼がぐつぐつ煮えてる釜のそばで待ってるタイプの地獄になっちゃう。流石に楽しめなさそうだから、そのどうしようもなくなった時に目標から解放してくれるのが「不調な時は無理しない」という注釈だと思っている。

 目標は小学校とか中学校の黒板の端っこに書いてあるやつみたいに絶対守らなきゃ、みたいなものも嫌いではないけれど、もっと自由にそれに向かていけたり時にはそれから解放されたりしても良いんじゃないかと思う。そうやって柔軟になりつつ日々を自分なりに丁寧に生活していければそれで今年の最終日に「良い年だったな」と思うことが出来れば万々歳である。


知識をつけたり心を豊かにするために使います。家族に美味しいもの買って帰省するためにも使います。