本を絶妙なタイミングで読んだ話~荻上チキ ヨシタケシンスケ『みらいめがね』『みらいめがね②』~

 おじゃまたくしです。すっかり秋め……いや朝さっっっっむ!雪虫飛んでますし。冬。秋すっ飛ばして冬。秋なんてありません。

 十月に入ってから卒論を書かねばならないのもあるのだが、前よりも家にいる時間が増えた。本屋さんに行くのも最低限に抑えている。そうして生活するようになったのはTBSラジオで平日月曜~金曜の15:30から放送している「荻上チキ Session」を聴くためである。

 荻上チキさんと南部広美アナがその日のニュースや1つの話題についてゲストを交えて話す番組。事実を伝える、こともそうなのだが、それに対してその道のプロに話を聴いたり、荻上さんや南部アナ、そして時にはリスナーが感じたことを聞くことが出来てとても濃い時間を過ごせているので、朝テレビでニュースをざっくりチェックする以外はこの番組でその日のトピックスを知っている。

 その荻上さんは先日、ヨシタケシンスケさんとの共著で『みらいめがね② 苦手科目は人生です』というエッセイ集を出版された。前作『みらいめがね それでは息がつまるので』の続編だ。毎週何があっても欠かさず聴いている「星野源のオールナイトニッポン」に荻上さんがゲスト出演なさったときに紹介されていたのがとても気になっていて両方まとめて購入した。

 両方とも「今読めてよかった」と心から思う。今の自分の心を読まれているのかと思ってしまった。

 『みらいめがね それでは息がつまるので』では生活の中の生きづらさを取り除いてくれるようなエッセイが掲載されている。そのなかでクリティカルヒットしたのは「「呪いの言葉」に向き合う」というエッセイだ。                      

 言葉は、言った側はもう忘れてるかもしれないけれど、言われた側の心の中には一生残るものだ。私は後輩に言われたある言葉がこの間まで心の奥に刺さっていたからそのことをとても実感している。

自分の人生に関係のない他人が、遠くから自分の人生を勝手に査定し、嘲笑うために規範性を振りかざすなら、それは「呪いの言葉」にほかならない。

 この一文を読んだ時に「ああ、あれは自分にとっての呪いの言葉なんだな」と腑に落ちた。もうとっくに自分の中では他人の力を借りて「呪いの言葉を解いて」はいたのだけれど何とかネーミングしたかった、ということもある。この章を読んだ時に「これだーーーーー!」って叫んでしまった。心が晴れる、とはまさにこの事。

 先日発売された『みらいめがね② 苦手科目は「人生」です』は人生の視野を広げてくれるエッセイが掲載されている。私にクリティカルヒットしたのは「自虐の落とし穴」の話。

 私は自分をよく自虐する。「呪いの言葉」の話の続きでもあるのだが、自分を卑下しまくって生きてきた。形姿はもちろん、それ以外も。

この身呪わば穴二つ。                                        一つだけ穴を掘り、自分だけを落としているようでいながら、実はもう一つの穴を掘って誰かを落とそうとしまっている。

 自分を自虐するとそれを聞かされる方も返しに困ってしまう、と。読み終えたその日から私は自分を自虐するのをやめた。自虐をやめたら心だけじゃなくて体全体が軽くなったような気がする。

 本を読むタイミングがあると思う。絵本に「〇歳向け」というのがあるように、この二冊の本はもうあと半年で学生という肩書きを失い、社会人という肩書きを得る私が今読むのにぴったりな本だった。ヨシタケシンスケさんのあとがきの言葉を借りるなら「リアルめがね」を私はかけているけれど、視野を広げるための「みらいめがね」はかけていなかったのだ。これからは「リアルめがね」の上から「みらいめがね」をかけて生活していこうと思うのだ。きっとそれが生活を楽しむ術なのだと思う。

知識をつけたり心を豊かにするために使います。家族に美味しいもの買って帰省するためにも使います。