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野球はAIに支配されるか

 大学院進学にあたり、北海道から茨城に移ってちょうど2週間になります。授業開始が以外にも遅く、この期間を使って自己分析をしていたのですが、そこから得た今後やりたいことの一つに「野球アナリスト」を掲げました。

アナリストとしてデータを扱っていくと考えた時、野球の選手評価指標であるセイバーメトリクスを参考にした独自のプログラミングを作成しようとPythonの本を買いかけましたが、いや今はAIの時代だろうと思い直し、先にAIについて勉強することにしました。実際、福岡ソフトバンクホークスは「Fastmotion」というAIトラッキングシステムを導入し、選手の動きをデータ化して活用しています。

このnoteではAIについて印象的だった知見と、AIと野球がどのようにして活用されるべきか、所感を書いてみます。

AIはやがて人を超えるか

 今回読んだのは、経営コンサルタントの今井豊治さんの書かれた「AIの未来予想-2080年代のAIと企業経営」です。
この本は、AIの起点からChatGPTが出現した現在までの流れと、今後のAIの進化の到達点を予想し、AIが我々にもたらしてきた(もたらすであろう)影響や活用法について書かれています。

AIに支配された世界を描いた映画の広告を見たことがあるようなないような、、、でも近年目覚ましい進化を遂げるAIが、いつか人を支配するのではないかという不安は、誰しも想像に容易いことだと思います。

コンピュータが人間を超える日が2045年にくるとする「シンギュラリティ」という概念が2005年に提唱されました。AIが自らを超えたAIをつくることができるようになると、自律的に急速な進化がもたらされ人間を超えるとの見方です。こうしたAIの進化を恐れる声はほかにもあがっています。

著者はというと、それらの考えに否定的であり、AIが人を超えることはないと主張しています。

なぜかというと、AIがどんなに人間らしくみえても、そのベースは「デジタル」であり、そのデジタルは我々人を含む自然界に存在する「アナログ」にはなり得ないからです。つまり、人工知能と人は同一線上(平面上)ではなく平行の関係にあるということです。

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本の中では両者の違いを、「無理数」であるか否かとし、円周率を用いて説明しています。
円周率は最後の数字が存在せず無限に続きますが(3.141592・・・)、物理学や工学などの学問成立のために、自然界のアナログ値である円周率を、便宜上「円周率≒3.14」としてデジタル値化しているのです。
これが「自然界(アナログ:人)」と「人工(デジタル:AI)」との決定的な違いである根拠として、説明されています。

AIも自然界に存在するものをデジタル値化して動作しているため、人とはそもそも異なるものであり、AIが人を超えるかどうかという議論自体がそもそも的外れであると筆者は述べています。

ただ、分野を絞ればAIが人より優れているものも存在しています。
例えば、チェスや将棋、囲碁では膨大なパターンを演算できるAIが存在し、実際の対戦で人に勝利しています。これは高速な演算を大量に必要とする分野に関してはAIの方が優れていることを示し、人を超えていると言えます。しかしながら、人がAIに支配されるという問題は生じていなく、あくまで人が「主」として「従」にあたるAIをツールとして使っているだけであるとの見方を筆者は示しています。

https://business.nikkei.com/atcl/report/16/030800018/083000147/fb.jpg

 「AIはやがて人を超えるか」という問いに対するまとめとしては、「AIが人を超える分野もあるが、そもそも異なるものであり支配されることはない」としておきます。

ChatGPTは、質問も回答も理解していない

 対話型AI「ChatGPT」は、チャット感覚で質問したものに対して、人が書いたものと区別がつかないほど自然な文章で回答してくれるアプリであり、近年大ブームを引き起こしています。

そんなChatGPT、実は質問された内容も、自身が回答した内容も、意味は理解していないそうです。

ChatGPTは、ある言葉の次に来る確率の高い言葉を選択して文を紡いでいるだけであり、それらを連続させることで自然な文章を生成しています(スマホの予測変換に似ている)。つまり質問の言葉に対して、インターネット上の膨大なテキストデータから次に来る確率の高い言葉を並べる、という仕組みです。なので単語の意味や文章の内容は全く理解していないそうです。

あまりにも自然な言葉で即答してくるので、こちらの質問を理解していると錯覚してしまいますが、それは違うみたいです。

少し話は逸れますが、ChatGPTが間違った情報や架空の情報を回答する現象が問題になりました。理由はわかっていないそうですが、自然な文章で回答してくると信じ込んでしまいそうになるのには注意が必要であると筆者は述べています。

結局のところ、ChatGPTから得られた文章を判断し活用するのは人であり、やはり人が「主」でAIが「従」なんだなということが、ここからもうかがえます。

野球でのAIのありかた

本から総じて感じたことは、「人が主、AIが従は不変であり、使い方が大切」ということです。

野球においても同様に活用されるべきであると思います。冒頭に紹介した「Fastmotion」や、ほかにも株式会社ミンカブ・ジ・インフォノイドとデータスタジアム株式会社が共同で開発した「AI戦評サービス」など、すでにAIは野球界に導入されていますが、ここから得られたデータは本当に選手やチームにとって有益であるか、有益なものに落とし込めるかは、やはりそれをチェックする人にかかってくると思います。

運動学習の観点ではフィードバックの種類や頻度がその人の学習の効果に影響を及ぼすことがわかっています。つまり、何でもすぐに的確に知ることがよいとは限りません。

また、人には感情があり、欲があります。指導者が学習者に教える際は「こうなってほしい」など、指導観や情熱があります。それを無視にスポーツを見ることはできないし、するべきではないと思います。

僕も今後研究や自身の活動を進める中でAIを活用して、効率的(時間短縮)・効果的(より大きな成果)にしていきたいと思うのと同時に、使い方そのものを見極め続けたいと思います。とりわけ野球においては、データと人をつなぐ役割を担えたら、それはとても楽しいだろうなと思います。

タイトルの「野球はAIに支配されるか」の現時点での答えは、「支配されることはないが、支配されないように活用することが人の役割である」としておきます。

最後まで読んでいただき、ありがとうございました!



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