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令和哲学的観点から観るレ・ミゼラブル:ジャベール解析編

はい!こんにちは。ご覧いただきありがとうございます。

レ・ミゼラブル解析その2

書き始めることができました、おりょうです。

地球を舞台に人類80億総ミュージカル制作。レ・ミゼラブルを超えるJapan Mission Musicalプロデューサーおりょうです
令和哲学大好き/心感覚アンバサダー/ジ―ニマミスト

zepetoでエポニーヌアバターになってみました笑
良かったら友達になってくださいね@onestar0910

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さて、レ・ミゼラブルの世界は深いし、広いし、いろんな角度から解析できるので、あっちから書くか、こっちから書く?
悩みますね。

しかし、やっぱり、と。

決断し、ジャベール編を書き始めましたw

⇒1本目の時代編はこちら

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ジャベールについて

ジャベールといえば、ジャン・バルジャンを執拗においかける警部ですね。

ジャヴェール警部 (Inspecteur Javert)ユーグ版より。

1780年に、服役囚の父と、同じく服役囚のトランプ占いのジプシー女の子供としてトゥーロンの徒刑場で生まれた、ブルドッグのような顔つきの男。社会から外れ、「普通の人間として」社会に関われないという絶望から、自身の境遇やそれと同じ境遇に属する人間を憎み、社会を守る人間であることを選ぶ。その素養が備わっていたこともあり、彼は警察官となる。
禁欲主義で生真面目かつ自分にも他人にも厳格な男。社会秩序を絶対的に信奉する法の番人であり、これに逆らう者には公正だが容赦なく振る舞ったため、町のならず者達を震え上がらせる。……(wikipediaより冒頭部抜粋)

ジャン・バルジャンの人生を軸に物語が進んでいくレ・ミゼラブルのストーリーですが、バルジャンと対照的にずっと彼を追い続けるジャベール。この二人は、舞台の最初から最後まで出続けます。

(レ・ミゼラブルの舞台では、この二人以外の役の方はシーンが変われば、他の役になり変わり、農家になったり、工場で働いたり、囚人になったり、見物人になったり、どんどん入れ替わります。)

そして、何よりもジャベールの自殺のシーンは、レミゼラブルの中でもかなり重要で衝撃的なシーンですよね。(川へ身を投げます)

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ジャベールはなぜ、自殺をしたのか。

本当にこれ、重要な話題です。
彼自身が、ずっと貫いてきた信念であり、彼にとっての善が違ったのかもしれないということを、バルジャンの姿勢態度を通して気づいてしまったとき。
そのために生きていたという信念をすべてひっくり返され、さんざん悩んだ挙句に自殺を選択したわけです。
ちなみに、キリスト教では、自殺をすることは悪とされております。
これはどういうことかというと、神様が絶対の時代で神様に従わないということは自殺すれば神様にも見捨てられるわけです。死んだあとの世界にも救いはないのです。これまで信じていた神様自体を否定したから、自殺をしたのか、それとも、神様から見放されるという罰を受けるべきだとして自殺をしたのか。道徳的に自殺はだめだという概念以上に強い概念を超えて自殺をしたのがジャベールになります。

彼にとってはバルジャンや、学生たちの考え行動が悪であり、それらを懲らしめようと人生をささげてきました。バルジャンを改心させる方向へ変化させたかったはずなのに、実は自分のほうが間違っていたのかと、彼の考えが迷路へと入っていきます。

自分が正義だと思って人生をかけていたことが違ったのかと、かなり悩んだでしょうし、バルジャンや学生たちといった彼にとっての環境ともいえる存在たちを変化させられなかった。それどころかバルジャンの姿勢をみたときに、はじめて外の環境(人・存在を含む)から自身のほうへ意識の矢印が向いて、「自分は何のために生きてきたのか」「自分が間違っていたのか?」という問いが突き詰められたとも考えられます。

とはいっても、ジャベールは悪なのか?
といえば、私はそうは思いません。
多くの人もお気づきでしょうが、彼は本当にまじめなだけなのです。
法に従い、誰よりも揺らがず、その法という環境の下ではだれよりも正義だったのです。

彼の心はむしろ誰よりも純粋だったのかもしれません。なぜならば、最初に信じたことを、誰よりも貫き通したのですから。

人間は誰しもが観点・判断基準に固定されている


ジャベールについて、令和哲学的観点を入れますと、人間は自分で作ってきた観点・判断基準に固定されて生きています。
一度作った観点・判断基準から自由になることはとっても難しいのです。
そのことを一番わかりやすく描いているのがこのジャベールという人物です。
ジャベールは極端だからわかりやすいのですが、人間は誰でも自分で作られた観点から自由になれません。
人間の脳の仕組みですね。

ほかの登場人物でいえば、バルジャンは「逃げなければならない」という観点が強そうですよね。ジャベールではない人にも、ジャベールがおってきたのかと不安になり、逃げようとしていました。
事実とは関係なく、人は自分の観点で動きます。


ファンティーヌは、自分は不幸な人間だという観点固定がありそうです。しかし、どこかで白馬の王子様を待っている。悲劇のヒロインですね。

どんなに人間として、純粋であっても、一度作られた観点から自由になれなかったことで、変化ができず、苦しみの渦に飲み込まれていくのが人間です。人生が苦痛で、悲惨で、屈辱で、残酷になってしまうのは、どんな考えを持っているかではなく、一度持った考えから自由になれないからなのです。
司教様との出会いをきっかけに、変化を作れたジャン・バルジャンは、大変んなこともたくさんありますが、コゼットとともに幸せな日々を過ごした時間がありましたよね。もちろんそれでも限界もありましたが、人間は変化できるかどうか、が幸せ、成功への大きなキーです。


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自殺について



ジャベールがなぜ自殺をしたのかについて、令和哲学観点からもう一段深く考えていきます。

令和哲学カフェで自殺について、取り上げた回(アーカイブ視聴可)があり、私自身とても印象深い回でした。

令和哲学カフェレポートより
自殺は、一般的に精神的な苦痛を止めるために生命活動を止めることが多いと思いますが、精神のレベルの苦痛を生命のレベルで解決することは、本質的な解決にはなりません。
また解決というより、精神的な苦痛を回避するレベルにとどまってしまいます。
宗教的な観点からみると、神が人間を創造したので神を冒涜する行為として非難されます。ショーペンハウアーは倫理道徳的観点から、精神の苦痛は悟りや涅槃に到達するためのもの、精神レベルで解決することと言っています。
令和哲学では、生きる意志がないから自殺するのではなく、環境を変化できないから自殺するという観点からみたとき、物質の宇宙で認識したら変化できないけど、心の宇宙であることを理解できたときに変化することができます。
令和哲学を通して、鬱・自殺・殺人・戦争ゼロの時代を創っていきたいです。

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「自殺とは、精神的苦痛が身体的苦痛を上回ったとき」「環境を変化できないから」自殺をすると、令和哲学カフェの中で聞きましたが、なるほど、ジャベールもまさにあてはまりますね。

そして、、日本における今。

年間3万人の自殺者、そして、コロナになってから、子供や女性の自殺率の増加がますます問題になってます。

自殺とはなんなのかを明確にし、自殺では本当の問題解決にならないことを知ったとき、自殺を減らす道を案内できるところが必要だとヒシヒシ感じます。

コロナパンデミックは誰も予想しなかったことが世界中で起きたことでした。

また、AIの進化・人工知能の台頭、最近ではメタバースがはやり、アバターの世界で遊ぶことが当たり前になっていく時代。情報知識はうなぎのぼりに増え、自分の知っている世界が当たり前だと思って生きていくと対応できないことばかりになっていきます。
変化のスピードは速いので、観点・判断基準から自由になる技術がない人はまさにジャベールが悩んだかもしれない「何のために生きているのか?」というポイントにおいて、悩む人は確実に増えるでしょうし、その先で鬱自殺の道を選んでしまうかもしれません。

ネットを検索すると、ジャベールが何故自殺したのかわからないという声もたくさん出てきます。
何故生きるのかわからなくなる気持ちになる人は、今の時代のほうが圧倒的に増えています。
時代が進んだ今現在、若者のほうが、ジャベールの自殺に共感できる人は多いかもしれませんね。

そう、ジャベールの悩みは、現代人にとって他人ごとではありません。
形は変えても、根本的には何故生きるのかに人は悩むし、時代の限界が来ている今こそ、誰もがその悩みと向き合い超えていかなければならないところまできていると、わたしは思います。

絶望

令和哲学では、正しい絶望と出会ったときに、体の自分を死に追いやることで問題解決に行くのではなく、究極の希望へ行く道があります。


正しい絶望と出会った方なら、ジャベールの気持ちも、また現代にいる多くの自殺をしたいという気持ちにも寄り添って、そこから一緒に解決へ向かうチームプレーをしていきます。一人で解決するのは本当に難しい問題です。

みんなで自殺ゼロの社会をつくっていくために、心に寄り添える自分になることが必要な時代です。

参考:https://www.tohostage.com/lesmiserables/

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