“ I’m OK, you’re OK”
ボサボサ天パ頭の幼少期から母親になってまでのお話。
今日はポジティブ原体験を。
私のネガティブ原体験はこちら↓↓
私は手相占いでも、星読みでも「母親の影響が強い」と言われる。
今回原体験ジャーニーをしてみて、やはり母親の影響がもろに出ていた。
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三姉妹の末っ子で産まれた私。
三人目ということもあり、良い意味で力みのない母は
教育ママとはかけ離れ、わりと奔放にさせてくれていた。
でも「放置」とはまた全然違って、産まれてから今でもなお
これでもかってくらいに愛情を感じる。
その理由は、
「大抵のことは肯定して、見守ってくれる。」
からだ。
思い返せば本当にぼーーーーーーーっとした子供で、
小学校1年生のときなんて
鉄棒のそばで天パでボサボサ頭のまま
鼻水たらして一人でぼーーーーーーーっとたたずんでるもんだから
当時小学校6年生の次姉が休み時間に髪の毛とかしにきて
「からかわれるからもう少しシャキッとして!!」
と怒られたりしていた。
思春期に片足突っ込み始めている姉からすれば姉不幸者の私。
忘れモノもしょっちゅうで、給食袋も毎週忘れるから
母親がランドセルにくぐりつけてくれるのに
肝心要のランドセルを忘れる始末。
小さいながらに自分のアホさ加減に嫌気がさしていたのだけど、
それでも母親は「なんでこんなことも出来ないの!?」
などの説教や罵りは一切なく。
基本なにもかも我慢強くおおらかに見守ってくれていた。
今自分が母親になってみて思うけど、絶対ガミガミ言ってるだろうし
こんなに我慢できないと思う。
高校のころ、化粧したり髪の毛染めてたりしている友達に憧れて
(私服で化粧・ピアスすべてOKの高校だった)
「髪の毛も染められへんし、バイトもしたいし部活辞めたいねん」
などの不純な動機で相談したときも
「しんどいなら、やめちゃえやめちゃえーい」って背中を押された。
逆にそれでやっぱり頑張ろうと思う不思議(結局3年間続けた)。
大学にはいっても「今はあなたの自由な時間。いろいろな経験して社会に出たときに役立てなさい。」と言われ、バイト三昧、旅行三昧でも見守ってくれた。
社会人。課長にボロクソ言われて悔しくて泣きながら帰ったときも
何も言わずそっとあたたかいお茶を出してくれる。
私が母親になり、実家が近く今でも良く顔を合わせるのだけど、
子育てにおいて絶対口出しはしないし、見守ってくれている。
物心ついたころから現在まで、ずっと忙しく働きながら、
家事もすべて一人でこなしている母。
忙しい中でも絶えず大きな安心感や愛情をもたらしてくれた。
私は母のおかげで親のレールに敷かれた人生とは程遠い生き方をしてきたのかもしれない。勝手に影響を受けていることはたくさんあると思うけど。
なにがあっても味方でいて寄り添ってくれる。
いつでも子供を対等な立場で扱ってくれている。
べたべたした親子関係でもなく、程よい距離感。
相手の気持ちを尊重する心。
今でこそ大人になり、基本自分で何でもできるようになったけど、
昔は本当に頼りなく、忘れものも多く、どこか抜けていた子供だった。
ただ母親は私の「負けず嫌い」の性格を見抜いていたのだと思う。
自分から”このままではまずい”と思う子だと。
母親の子育てを振り返り思うのは、
ガミガミ言わなくても、子供は思っている以上に強いし勝手に成長する。
環境や選択肢を示すのは親の役目だけど、
なんでも自分の軸をもとに子供を縛るのは、また違う。と思う。
人には凹凸があって苦手なこともあれば得意なこともある。
「母親からの信頼」を幼少期から感じていた原体験があって
私は、他者に対して、「あいつはどうしようもないやつだ」だとか
「なんでこんなことも出来ないんやろ」などと思うことが本当にない。
人の凹の部分を愛しいとすら思う。
「ま、そうゆうところもあるよね。」くらいの感覚で過ごせている私は、
社会で生きやすい人間なのかもしれない。
“ I’m OK, you’re OK”
そんな優しい世界で子供たちも育ってほしい。
私も「見守る育児」をがんばってみよう。