今まで誰かになにか言われたり、されたりして不快に感じた時、「え?なんでそんなこと言うの?なんでそんなことするの?」と思って、その気持ちを引きずって、我慢としてもすぐに態度に出てしまって「あ~、またやってしまった。やな態度をとってしまった。」と繰り返していました。
嫌な気持ちにされたことに対して誰かのせいにしたり、相手に嫌な気持ちにされたことを気付いて欲しいと思っていたのかもしれません。  
またいい人でいたい、気持ちよく過ごしたいという気持ちもあるのにそうできない自分を否定したり。このようにすべきと自分の価値観で判断して相手にもそのようにして欲しいと考えていたのかもしれません。 
この前、人間関係の原則の勉強で講師の方から どんな行動・言動・情動にも高次の意図があると教えてもらいました。   
今までの嫌な気持ちになった時の意図などを考えるきっかけになりました。  
高次の意図は、肯定的で美しい目的。 
この話を聞いて、私は今までその感情になった原因だけにフォーカスしているんだなーと感じました。そのため、なかなか解決ができない、その気持ちにならないように対策が考えられなかったのかなと思います。              高次の意図を考えることは今までやったことがないことだったのでとても難しいと感じています。
この前なかなか高次の意図にたどり着かなかった出来事があったので紹介したいと思います。  
ある日、私の父が母にみかんのような皮の分厚い果物を渡されて「皮向いて食べよう」と声をかけられていました。
そこで父は、分厚い皮を自分の指でむこうとしました。
すると、「痛い!」という声が聞こえ、何が起こったのか振り向くと、親指の爪が少し剥がれかかり、血が出ていました。           父は、母の言われた通り、消毒して絆創膏を貼っていましたが、「こんな風になったのはお母さんのせいだ!包丁を使ってむくように言ってくれたらよかったのに。」と言って母と言い争いになっていました。   
これを聞いていて、 
私は、また人のせいにしている。     
皮が硬いんだったら包丁を使ってむけばよかったのにという気持ちでいっぱいでした。  
この時に何のために私は嫌な気持ちになったんだろうと考えた時に、自分の失敗を人のせいにしないで欲しいという考えしか思いつきませんでした。
何のために?というより、なんで?と問いかけていたため、答えが見つかりませんでした。
否定的な意図はすぐに思いつくのに、肯定的な意図はなかなか思いつかない。    
嫌な感情にとらわれて高次の意図が見えなくなっているんじゃないかと思いました。  
今受講している学習の場で、この出来事の高次の意図についてアドバイスを貰いました。アドバイスを受けて、またじっくり考えてみました。  確かに、仲良くしてほしい、仲良くしてほしいんだけど、両親は喧嘩をしながらも仲良く生活している。  
それじゃあなんだろ?と考えてみた結果、  
仕事で忙しく働いてきて、家では争いごとなくリラックスして過ごしたい、家ではみんな気持ちよく過ごしてほしい。
父に対しては、物事を自分で考えて、自分の責任で行動してほしいという意図にたどり着きました。肯定的な意図が分かったら、スッキリしました!     
これからはたくさんの情報を自分で探して、その情報から自分で考えて判断して決めていくことがとても大切だと感じています。     
そのことを家族にも知ってほしいし、納得して行動をしてほしい。私もそうしていきたいと思っています。 
私は、不安や恐怖とはよく分からないことに対して生じる感情だと考えています。      
今怖いと思っていることについていろいろ調べて、その調べたたくさんの情報をいろいろな角度から見て、自分で考えて判断して、自分の行動を選択することで怖いという気持ちを解決できるのではないかと思います。   
また納得して自分で選択したことは後で後悔することも少なくなるんじゃないかと思っています。これからの時代をみんなで笑顔で楽しく、自分らしく健康で生きていけるように日々学び続けていきたいと思います!   

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