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母の居ぬ間に捨てたるわ【ワンオペ介護日記6/22】

前回記事で、ショートステイを嫌がる母が仕方なく連れていかれるまでの話をしたが、今日はその後の私の行動について書いてみる。

計画通りに母をショートステイに預けると、たまった用事を手早く済ませる。そんな私が次に取り掛かるのは生前整理だ。実は、これこそが母を預ける真の目的である。

物のない戦時中生まれの母には「捨てる」ということができない。おまけに買物好きときている。その結果、全ての部屋にあらゆるものが押し込まれパンク寸前になっている。

これまでは「こんなの、もう捨てたら・・」と言おうものなら血相変えて怒り出すので、狭かろうが、カビ臭かろうが、ひたすら我慢して放置するしかなかった。

でも今は違う。介護状態になった母は、自由に部屋を歩きまわることも、2階に上がることも絶対に不可能だ。すべて私の管理下にある。私はついに「今なら捨てれる!」と確信したのだ。

唯一の問題は母の地獄耳だ。母がいるときにガタガタ片付けると不審がられる。捨てるのが発覚すると面倒だ。この計画が頓挫してしまう。ならば、いないときに密かにやればいいではないか。どうせ母が死んだら、この家を始末するのは私なのだから、今からやっていけばいいのだ!俄然私はやる気がわいてきた。

そう決意して、まず仕事場にあった年季の入った足踏みミシンと動力ミシン、洋裁道具、大量のスタイルブック、残反の全てを処分した。

次に攻略するのは、各部屋に山のように積まれ、ハンガー掛けで壁面を埋めつくしていた膨大な洋服の処分だ。なんと50年前の服もわさわさ出てくる。しかも昔の服はぶ厚くて重たい。「この生地は高かった」と自慢していたが、今さらいったい誰が着るというのか? 今は薄く軽いのがいいのだ。一切躊躇することなくゴミ袋に突っ込んでいくと、あっという間に50袋超えの可燃ごみと化した。

さらに、台所にあふれていた食器も情け容赦なく処分する。
母は陶器を買うのが好きだったが、似たような皿、似たような湯のみ、 似たような丼・・・そんなにいらんでしょ。物を溜め込む人間に限って「そんなんどこにあった?」なんてのたまうが、家に何があるかロクに把握もせず次から次に買うんじゃないよ。高級品と最小限必要なものだけ残して大半が不燃ゴミとなった。

そして今回は、長年の懸案であった古い洋服ダンスの解体に取り掛かる。
新しいタンスを買って古いのがいらなくなったら、なんで古いのを処分しないのか。 1つ買ったら1つ捨てなさいよ。部屋が狭くなるだけでしょうが。


実をいうと、私はタンスの解体は初めてではない。嫁ぎ先で姑が既に亡くなっていることをいいことに、古ぼけた家具をことごとく解体した前科を持つ壊し屋だ。この手にかかると、作業すること30分ほどで、部屋を占領していたタンスはただの板切れになり果てた。勢いづいた私はさらに、余りの本の多さに傾き、危険物と化していた本棚2本もなぎ倒した。

こうした荒療治の甲斐あって、あの”ビフォーアフター”よろしく「何ということでしょう~」部屋は本来の広さと明るさを取り戻し、新鮮な風が渡るようになった。

私は家事の中で掃除、すなわち「捨てる作業」が一番好きだ。思いっきり捨てるとスッキリする。それはきっと、古いものにとりついた嫌な記憶や、もやもやした感情も一緒に消えて無くなるからだと思う。