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戦後の偵察機について

◆戦後、再び脚光を浴び始めた偵察機。

前回の続きです。戦場の花形である戦闘機や爆撃機・攻撃機たちに比べ、目立たない存在の偵察機ではありましたが、裏方らしい実に多彩な任務を任されていたと思います。決して目立たない存在でしたが、戦場には欠かせない存在ではありました。
 さて、戦争は集結しましたが、戦後に、この偵察機に脚光が浴びることになります。それは戦後の米ソの冷戦・・。
 直接の戦争が無くなった代りに、その裏では、激しい情報戦が始まりました。情報は外交でも優位に立てる鍵となります。その情報を得るために数多くの人材と技術がつぎ込まれます。
 またレーダーや通信機器などの発達により、早期警戒機という新しいカテゴリの航空機も生まれました。大規模で高度な早期警戒防空システムも完成しはじめます。
 新しい時代の偵察機に求められた性能は、戦闘機も到達できない高々度性能と高速性です。そして撮影のための高度なテクノロジー機器。戦闘機よりも最先端の技術を集積した航空機が必要となる時代がやってきたのです。
 2000年代の時点では、偵察機の種類としては、電波傍受を行う電子偵察機、戦略偵察機、戦術偵察機が追加されるようになります。

U-2 なんと資金提供はCIAだそうです

◆SR-71。偵察機の完成形

 U-2、そしてSR-71において最高度に発達した偵察機は、高々度飛行の摩擦熱により、宇宙船のような耐熱処理の外板や与圧服を着用します。
 偵察機の任務である「高速で敵地奥深く侵入し、任務を果たし、撃墜されないで帰還する」という任務はこの、SR-71によって完成されたともいえるでしょう。この機体の最高速度はマッハ3。有人実用ジェット機として最も速く、2024年現在に至るまで記録は更新されていません。
 SR-71の高速性能は他機の追随を許さないものではありましたが、その反面、高度1万メートル以下では通常の戦闘機に及ばず、バンクも45度が限界で、背面飛行もできません。出撃も24時間前から準備しなければならず、運用面でかなり面倒な飛行機ではあったのです。
 それでも果敢に領空侵犯を行い、ミサイルで撃墜されるリスクを背負いながらも、退役するまでの30年間、一度も撃墜されることはありませんでした。しかし、この高高度戦略偵察の座を別の形で脅かす存在がまもなく生まれてきます。

U-2と与圧スーツを着たパイロット。ヘルメットも宇宙服スタイルです。

◆偵察衛星(スパイ衛星)の登場

 それは偵察衛星です。攻撃を受けにくい宇宙空間から戦略目標の動きや位置を情報として入手できるこの衛星は、光学機器が飛躍的に向上してくると、今までの偵察機の任務を担うことができるようになりました。
 また、合成開口レーダー(SAR)偵察衛星の登場で、夜間や雲に関係なく地上の画像データを入手できるようにまで進化してきました。
 グーグルアースなんかは怖い位の解像度ですよね。
 もう、こうなると偵察は無人衛星でいいじゃないと思いがちですが、アメリカはまだ、戦略偵察機を手放すことはしませんでした。
 それは、衛星の周回軌道が予め定められているものだからです。たとえ、宇宙空間への攻撃ができなくても、その偵察衛星が来る時間は分かりますので、その間、隠すことも可能なのです。
 ですので、非常時に思いがけない場所をいきなり調べに行ける、SR-71やU-2のような偵察機の存在はまだまだ必要だとアメリカは判断していたのです。
 しかし、U-2やSR-71の運用を脅かす存在が再び現れます。それは有人偵察機たちに対してとどめを刺しにきました。
 それは何か。なんと、人が乗っていない「無人偵察機」でした。 
 次回で最終回となります。

無人偵察機の登場です


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