猫まっしぐら、アメリカ海軍機の”キャット”シリーズ〜その1
今回は、アメリカ海軍機のグラマン”キャット”シリーズのお話を。
徹底した合理性と無骨なデザインは、燃費なんか度外視の昔のアメ車のようで、魅力的な機体も多いと思うのですが、日本とは真逆な豊富な資金力と工業技術が羨ましくもあり、悔しくもありというところでしょうか。
◆F4Fワイルドキャット〜「零戦とは格闘戦をするな」で、やられキャラ的な扱い
ワイルドキャットは、山猫、野良猫という意味ですが、人になつかないということから”意地悪女”という意味もあるそうで。初飛行は1937年。いずれライバルとなる零戦よりも2年も前に開発・初飛行をしています。
途中からゼネラル・モーターズ社に生産が移り、F4F-8は、「FM-2」と呼ばれるようになります。
海軍機ですので空母の運用を第一に設計はされていますが、最初は固定翼機でしたので扱いが悪く、F4F-4型から折り畳み翼になりました。
これで、空母にも沢山収容できるようになったのは良いのですが、構造的に重量が増え甲板が狭くて短い護衛空母には適さないとされてしまいます。
なにせ重いので、着艦しても脚を破損したり、甲板から海に落ちたり。
アメリカはそれでも護衛空母に予備機を沢山積んでいますので、そんなに困らなかったそうですが・・・。
後継機のF6FやF4Uコルセアはもっと大重量です。そこで、せめて護衛空母に搭載するF4Fはもっと軽量化しようよという話になり、FM-2を開発します。軽いエンジンを開発して、100kgも減量に成功して、上昇力と運動性能の向上につながりましたが、過給器を2→1段にスペックダウンしたため中高度以上での性能は低下しましたが低空任務が多かったためさほど支障はきたさなかったようです。
このワイルドキャット、零戦と最初に戦った米海軍機ですので、初期は、まともに格闘戦を行い、コテンパにやられます。「ゼロとは格闘するな」と指令が出るまで。
しかし、零戦の弱点を見抜いた後は、零戦の得意な格闘戦を避け、数と防弾性能の優位な消耗戦に持ち込み、戦局逆転の立役者となります。アメリカ海軍機の中では一番の功労者かもしれませんね。
小さい甲板では扱いずらかった、なつきにくい山猫も、最後まで戦い、”ワイルド”な名に相応しい活躍をしたと思います。
◆F6Fヘルキャット〜日本にとっては正に"地獄の猫” 2,000馬力のF6F
F4Fの後継機は、”地獄の猫” ヘルキャットです。性悪女、意地悪女という意味もあるそうで。女性と猫を結びつけて考えるのはアメリカ文化なのでしょうか(^^)
初飛行は1942年6月なので、ちょうど日本がミッドウェー海戦で大損害を受けた頃ですね。戦局の逆転する頃に登場ですので、アメリカの勝利の象徴の一つの飛行機でもあると思います。
よく誤解されるのが、「零戦に対抗するために急遽開発された戦闘機」という話があるのですが、これはまったく違います。元々は先に開発されていたF4Uコルセアの”保険”としての機体で、新技術も採用しない保守的、堅実な設計となっています。
ですので、エンジンも2,000馬力に相応しい大柄な機体になり、重量増加も、エンジンのパワーでカバーするというアメリカらしい考え方の飛行機といえます。
このヘルキャットも、重いために着艦時に脚が折れたり、海に転落する事故も多かったのですが、後方の護衛空母が補充機をたんまり搭載していたので大きな問題にならなかったとか・・・。
戦争が終わった時、アメリカ本土に帰る途中に、もういらないからといって、F6Fを海に捨てたという話もありますが、アメリカらしい合理主義というか、日本からしたら贅沢すぎて嫌な話ですね(笑) 。いらないならくれっ。 日本のパイロットたちもこのF6Fの運動性能には苦戦させられたそうで、主力機であったF4Uコルセアよりも手強い相手として認識していたようです。日本にとってはまさに地獄の猫、そして嫌がらせナンバー1の飛行機だったかもしれません。 →続きます。