輸送機の物語②〜戦争に従事したDC-3の活躍(C-47)
◆戦争に従事したDC-3(C-47)
旅客機として大活躍中のDC-3も戦争の波が押し寄せ、アメリカも軍用輸送機として徴用し正式に採用します。このように優秀な旅客機であるから、これが軍部の目に留まらぬ訳がないですよね。
正式名称はC-47、愛称は「スカイトレイン」。乗降ドアを大型貨物ドアに拡大し、貨物室底面も搭載力に見合った程度まで強化されました。
C-47は1940年9月に147機が発注され、以降大戦が終結し、生産ラインが閉じられるまでに1万機以上が生産されるという、まさにアメリカの工業力を象徴する大記録を打ち立てています。
アメリカ海軍ではR4D、イギリス空軍では「ダコタ」という名で運用されています。乗客の乗降扉に代わって貨物扉を取り付け、武装兵28名か、3トン近い貨物を搭載できました。
派生型の兵員輸送型はC-53スカイトルーパーとも呼ばれ、各タイプとも輸送以外にも探索、捜索救難、偵察、地上掃射、グライダー曳航、傷兵輸送など、実に様々な後方支援任務に従事することになります。
ノルマンディー上陸作戦後は、C-47も敵味方識別用の有名な白黒のストライプ模様(インヴェーション ストライプ)を付けました。それは、輸送機とはいえ、銃火の飛び交う戦地を飛び回る危険な任務に従事している証でもありました。
◆アイゼンハワー大統領からも称賛を受けたC-47
大戦当初から終戦まで、連合国が行く所、必ずやこのC-47が輸送任務で飛び回っているほどで、連合軍欧州総司令官であり、のちにアメリカ合衆国大統領となったドワイト・D・アイゼンハワー将軍はこの機体をこう称しています。
「第二次世界大戦の連合軍勝利に著しく寄与したのはダコタ(C-47の愛称)とジープとバズーカ砲である」と。
アメリカ兵のいるところ全てで活躍し、戦いを陰ながら支え続け、その性能は、物流や人員移送など、連合軍のまさしく経済的・費用的な面で威力を発揮し続けたのでした。
戦後も入れて採用した国の数が96カ国という多さもこの機体の優秀性を物語っていると思います。
さて、次回は第二次世界大戦後に起きた大事件にも大活躍をしたC-47と、民間に戻ったDC-3の話で話を終わらせたいと思います。