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第三十三話

 鉄鼠の浴衣に黄金の帯を締めた強面のボスを先頭に、続く二人の利発そうな青年らは、それぞれ紫紺色と浅葱色の浴衣に身を包み談笑している。渋茶色の浴衣を飄々と着流している男性は、大変疲れている様子で、無精髭と目下に濃いクマを作っており、背には子供を背負っていた。子供は眠っている様で、萌葱色の浴衣の袖から伸びた白く細い両腕が男性の肩からだらりと垂れていた。集団の中で一番背が高く体格の良い青年が、濃藍色の浴衣の袖から覗く陽に焼けた逞しい腕を組んで、のっしのっしと殿しんがりを行く。

 そんな何処から見ても目立つ集団が、蝉時雨の中カラコロと下駄を鳴らして闊歩して行く。静謐な校庭は沈まぬ斜陽に照らされて彼らの影を映し出していた。

  時は一時間ほど遡る。

 週末の夜に大暴れした台風は、日付が変わる頃に温帯低気圧に変わり、北東へ去って行った。土曜の朝は湿度が上がり雨も弱くなっていたので、今夜の夏祭りまでには止むであろうと思われた。

 決行は祭りの夜だ。

 決行必至の計画とは、遠隔同衾術で聖名の魂にアプローチを掛けるのと同時に、音、色、風、匂い、光で全身の感覚にアプローチして脳を刺激する。

 原子を励起させた金属の焔色反応とフレーム発光の粋、即ち「花火」である。

 来客用の和室に、紫紺の浴衣を着た襟人が正座していた。さながら呉服問屋の若旦那と言った風である。壁の鴨居には、鉄鼠、渋茶、濃藍色、浅葱色、萌葱色、どれも色無地の浴衣が掛け並べられている。晴三郎が朝からせっせとアイロン掛けをしたらしい。

 和の色の美しさに見惚れていた理紀は、先ずはこれに着替えてくれと、若旦那から肌着とステテコを渡された。

「えっと、やっぱりパンツは脱ぐのでしょうか?」

「好きにすれば。」

 若旦那が塩な対応だったので、理紀がトランクスを脱ごうとすると「何でだよ!」と座布団を投げられた。

「だって下着の線が出ちゃうから、浴衣のとき女子は履かないって・・・!」

 アウターに響かない下着を穿けば問題は解消するし、普通そこまでしないという衝撃の事実に密かなロマンを壊された理紀は柳のように項垂れた。彼の様に薄い体型の場合、補正しないと浴衣が様にならない。襷をした若旦那は手際よくタオルを三枚重ねて腰紐で固定して、浅葱色の浴衣に涼感のある白鼠の帯を合わせた。容赦ない締めつけに理紀の鼻腔から熱い息が漏れる。

 「はい、男前。」

 と帯を叩かれ解放された理紀は、若旦那に礼を言って客間を出た。

 襟人の他に着付けが出来る晴三郎は、竜胆色、薄紅梅と山吹色の浴衣と帯、下駄やアイロン等、病室に持ち込む荷物と瞬を車の後部座席に積み込み、聖名に浴衣を着付けると言って一時間ほど前に出発した。しかし恐らく瞬では役に立たないであろうから、沖崎の手も借りることになるかも知れない。

 眠っている人間に一人で浴衣を着付けるのは困難だった。それは爽で立証済みである。何しろ着付ける対象が自立しておらず、完全に脱力した体を支える人間が必要で、着付する人間より力が要る。襟人と有馬のコンビプレイにより、爽は変わらずスヤスヤ眠り続けていた。

 自分も着付けてもらって今更ながら、理紀は当然の疑問に突き当たる。何故浴衣を着る必要があるのか、しかも家族揃ってだ。雰囲気づくり、バイブスの爆アゲ、目を覚まさざるを得ない状況の提供。浴衣の必要性を思い付くまま上げていけばキリが無いし不毛だ。エントロピーの増大に一役買えれば良いのである。

 学校側には前以て連絡し、屋上を解放してもらう許可を取っておいた。正一郎が直々に問い合わせたため宿直の教師が畏まって許諾が容易であった。数時間前まで降っていた小雨も、浴衣軍団が屋上に上がった時には僅かに霧雨が舞う程度の空模様になっており、正一郎と和二郎は兎に角腰を下ろしたいと、畳んだままのブルーシートに座り込んで荒い息を整えている。

 「あっ、虹!」

 間もなく茜色に染まろうかという夕暮れ空の中、突然長い梯子のような虹が現れて皆の視線を奪う。高いフェンスで切り取られた空間が光と色に溢れて、紡がれた無数の糸が交差する今この瞬間にしか無い光景。

 言葉でも感覚でもなく、その瞬間「縁」を生きていた。

 足りないピースを埋めるように、屋上に到着した晴三郎は竜胆色、瞬は山吹色の浴衣で現れた。続いて沖崎までもが浴衣を着て、薄紅梅の浴衣を着た聖名を背負って現れたのだった。

 薄紅梅と萌葱色を真ん中に、広げたブルーシートに寝そべると、いつの間にか明けの明星が輝くほどに陽が落ちている。蝉時雨も止んで、聞こえるのは夜の足音。時折吹く風が揺らす樹々の葉、生き物たちの生きる音。祭りの喧騒は遠く、和二郎のイビキが聞こえる。

 有馬は一人離れて魑之と連絡を取った。暗闇にスマホの明かりが浮かび上がる。打ち上げ花火が上がったのを確認すると、魑之に伝えた。

成程、屋上ここは特等席、正にスペシャルシートだ。打ち上がる音に遅れて聞こえる開花の音が頭上から降ってくると、巨大な火の大輪が広がる。辺りが昼の如く明るくなり、火垂るのように花弁が落ちてゆくのと共に、また夜が来る。朝と夜が繰り返すように、夜空に咲いて散って、生まれて死んでを繰り返す。空に近い場所で仰向けに四肢を投げ出し、暗闇だけを見上げていると、ふと自分が何処にいるか分からなくなる。でも隣に体温を感じると不思議に湧いてくる肯定感。ああ、ここにいていいんだ、ここでいいんだ。

 そう感じているのも、脳なのだろうか。

序〜第三話、はてなブログからの転載です。