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「撮ること」って何ぞ。


どうも、こんにちは。
ナミマです。

最近、天気に左右されない身体に
なってきている気がして、とても気分がいいです。

今日はそんな話をします。

僕は散歩が大好きなので
晴れの日は必ずと言っていいほど
外へ出て、素敵な建物を探す旅に出ます。
そういう建物を見つけると
どうしても写真として
残したくなってしまいますが
特に個人の家は
勿論写真を撮ることは許されません。
そうなんですけど、最近思うのが
そういう縛りがあることで
気付かされることが沢山あるということ。

そして、写真を撮らずに見てまわり
家に帰った時にもう一度思い出す様な
そんな家が本当に僕にとって
心が打たれていたのだと感じるのです。
なんとなくその証明ができている気がするのです。
(この感覚が君に伝わっているか不安です。)

そこで、僕は改めて
写真に残すことの意義
を考えました。

しかし、写真という形に残せるものは
とてもいいものです。
無いよりは確実にいい。
それでも、それによって何となく
安心してしまって、
記憶が止まってしまうというか…

その時、僕は写真に対してこう考えました。
良い所は「その瞬間を四角形に残せること」
悪い所は「それで満足してしまうこと」
ではないかと。

高校時代、
カメラというものに興味があったので
筆者のお小遣いによって
7万円の一眼レフを買いました。

買った頃は本当にうれしくて
黄色の小さな花
不思議な形のした雲
電柱に乗っている小鳥たち
全部が新鮮で、一枚一枚大事に写していました。

写真を見返しても
いいなと思うものも多く… 
(また写真展的な感じで撮った写真を投稿します。)

だからといって、その感情を思い出せるかというと
少々難しいのです。

本来、僕が写真を撮る理由は
その時の感情を思い出したかったからなのですが。

つまり、一瞬で忘れてしまう、儚げな感情を
シャッターを押すことで留めておけるのではないか
と考えていたんです。

けれど、正直写真を撮る理由は人それぞれですし
君がもしカメラが趣味だったとして
それを全否定するつもりはありません。

シャッター音の心地よさ
カメラを構えた時の何とも言えない感覚
(いい意味で)
上手く撮れた時の達成感

僕は大好きなので。

少し視点は変わりますが、
今はネット社会なもんですから
「映え」なんて言葉も流行っていますし
写真の存在意義についても
変化しているようにも思うわけです。

新しい自己満足の形とでもいうのでしょうか。
(そもそも発信するという行為さえも、、、?!)

うーん、まだまだこれから考えていく必要がありますね。

僕だけでは考えつくせない話でもありますし
だからこそ
今まで考えてくることさえしなかったことでも
あるのかもしれません。

まあ存在意義なんて所詮そんなものなのかもしれませんね。

それでは、今回はこの辺で収束させていただきます。
お疲れ様です。


【お知らせ】
今後は週に一回、水曜日の夜に出す予定です。
週一のお楽しみ(?!)として
この記事を活用していただければ何よりです。

後、もしよろしければ君の考えも聞かせて下さい。

それではまた来週。

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