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西郷隆盛切腹図

史実では、西南戦争の終盤、西郷隆盛は城山から降りて銃弾を受け、別府晋介に「晋どん、もうここらでよかが」と言い、襟を正して正座し東を向いて深く奉拝し、別府の介錯で切腹したと伝わる(出典)。明治期には写真技術が十分普及していなかったため、東京の浮世絵師は伝聞情報を基に描いた。本錦絵では実際にはなかった船上での最期の場面が描かれた、西郷たちは遠くに見える官軍の船を見つめていたのかもしれない。

西南戦争錦絵は、戦争画として作品数が圧倒的に多いものの、時事性を重視し、武者絵から同じ描き方を使いまわし、芸術性は低いのではという意見もあった。また、絵師同士が競い合い、お互いの作品を参考にしたと見られる似た構図の作品が散見される。しかし、芳年は 本作や「隆盛龍城攻之図」のように西南戦争錦絵でも特に想像力豊かな空想的な絵を多く描き、他の絵師とも一線を画す実力を感じさせる。本作の波の表現も浮世絵の良いところを残していて素晴らしい。

摺りが大変素晴らしく、画帳に閉じられていた関係で保存状態は良いものの、3枚続きの左端の1枚は縁の画号が切れていた(鹿児島暴徒肖像略伝も)。思案した結果、人気のこの絵は入手しづらくリーズナブルな価格だったので手を出した。

空摺り
雲の色つけで本作の変わり摺りがある
空摺り

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