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自分というフィルターを通した文章は、自分にしか書けない文章

文章を書く時に最も大切なことは何だろうか。

それは、他の人には書けないこと、自分にしか書けないことを書こうとすることである。これがなければ、けっして文章を書くよろこびは生まれない。

最近あった読書会の課題本にあった一節。イベント前にこれを読んで、わたしは文章を書き続けることを諦めそうになった。

「自分にしか書けないことなんてない」「わたしよりも上手い人がたくさんいるのに、わたしが書く必要性なんてあるの?」「わたしに書き続けることなんて無理なのかもしれない」

でも、読書会を経て、この絶望が希望に変わった。固く閉ざされていた重たい扉が少しだけ開いたような気がした。

今までやってきた書き物の延長線上に、自分にしか書けないことがある

このイベントを主催したのは、「書く」を学び合い、「書く」と共に生きたい人の共同体"sentence"さん。株式会社インクワイアが母体となる組織で、書くことを学びたい人が集まるオンラインコミュニティだ。

そこで、本のなかのたった4ページだけを読んで参加し、当日は参加者で音読しながら、感じたことを伝え合う読書会だった。

当日読んだ本は、こちら。

もう一度読み直すと、今度は次の一節が引っかかった。

表現とは、一度人間の心の中を通ってきた“世界”に“かたち”を与えることである。

あぁ、胸がいたい。圧倒的に知識も経験も足りていない。わたしにはやっぱり無理なんじゃないか。

イベント当日、みんなで本で心に引っかかった言葉を紹介し合ったときにわたしはこの一節と、それに関する感想を伝えた。

「文章を書くことって、自分の今までの経験や知識、思考すべてが表されるものですもんね」と。

すると、運営メンバーのひとりが口を開いた。

「自分にしか書けないことって大それたことに思えるけど、意外とハードルって低いのかも。いつもライターとして私たちがやっていることと変わらないんですね」

その言葉にハッとした。わたしは「そんな高度なことできないし、できはしないんじゃないか」と絶望からこの言葉を言ったけど、彼女は希望に変換して言った。

そんなに大それたことではなく、普段やっていることの延長線上なのかもしれないと

自分で自分を認めてあげること。どんな文章でも面白いんだから、ちゃんと自分も入れてあげること。

固く閉ざされた扉から、一筋の光が見えた気がした。「自分を認めること」が最初の入り口だったのだ。

だれかの言葉を、自分を通して伝えること

初めてこの本を読んだとき、エッセイなど自分の感情を表現したい人向けの本かと思った。途中、そんな話になったときに長年ライターとして活躍する運営メンバーのひとりが言った言葉が心に残った。

「仕事で書く文章もやっぱり一緒で。他人の言葉だとしても、自分というフィルターを通っている以上、切り離すことは無理なんですよね」。

その上で、取材とは自分にしか取ってこれない材を取ってくることだと続けてくれた。

取材に行った人にしか分からない情報がたくさんある。取材をすること自体、質問をすること自体も、わたしが聞く話と他のだれかが聞く話はきっと違う。すべては自分というフィルターを通してなされることなのだ。

では、まだ慣れない人はどうしたら良いのだろう?

そんなときにまたヒントになりそうな言葉をくれた。

「学ぶの語源は、真似る。だから、お手本を真似ることから始めてみたら良いんじゃないですかね。でも、どれだけ真似ても自分は出てきます。このはみ出した部分が自分にしか書けないことだと思いますよ」。

希望の言葉だった。書くこと、書き続けることが、自分にしか書けない文章を少しずつ形作っていく。

いろんな話を聞いて知った上で、「じゃあ、具体的に何をどうすれば良いんだろう」という話になり、その話の中で、「本を読んで良い文章にたくさん触れること」「良い文章を真似るために体感する=写経をする」といった話が出た。

本を読み、写経をし、真似て書く。

文章上達法としてよく言われる3つの手段だけど、いまいち真の意味を理解できていなかった。

でもまずは、続けること。続けることで、見える世界は変わってくる。すこし時間ができた今だからこそ、改めて学び直したい。

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