中学・高校数学が苦手な方へ

数学が苦手という子にこれまで何人も出会ってきたが、その大半は数学の本質を理解していない者であった。

例えば九九を思い出してほしい。いや、九九が言えるかどうかを思い出すのではない。『九九を教わった時』のことを思い出してほしいのだ。

ここで思い出したものによって数学的センスは変わってくる。以下に代表的な反応を示しておこう。

1 九九を覚えてテストした時の思い出

申し訳ないが、これを思い出した者は数学的センスは皆無だ。なぜなら、この度の質問は『教わった時』と位置付けている。にもかかわらず、テストや暗記をした記憶しかない時点で、数学の本質とはかけ離れた学習を続けてきている。本日、この文章をきっかけに改めることを推奨しよう。ただし、つらい思い出があっても、数学を頑張り続けてきた根性は最大級の評価ポイントであり、伸びしろは一番大きい。

2 九九の表を埋めていた思い出

今日の学校教育では、九九の表を完成させ、それを暗唱練習をして覚えるというのが一般的である。もっとも、ゆとり世代以降の考え方なので、それ以前の教育では、完成済みの一覧表を手渡されテストの日取りだけを言い渡された場合もあるかもしれない。ちなみに、これはいい記憶であり、センスはなかなかである。この記憶はすなわち、『定理・公式は自分で作れる』という数学の大原則を潜在的に意識していることにつながる。

3 掛け算という算出方法を教わった思い出

『2×3=2+2+2』であるということを最初に教えなければ、掛け算という演算方法は始まらない。これを真っ先に思い出した場合、センスは一番いいのだが、ここがつまづきポイントになっている可能性もある。分数の掛け算や小数の掛け算をするときに、どういう演算をしているのかを考えこんでしまうことでのつまづきが考えられるのだ。ここでつまづいた場合に、解決方法は2つある。①理学部数学科を目指し、数学の本質を理解する。②本質理解にこだわらず、そういうものかと割り切る。

実は、数学は本当のことを教わっている教科ではない。0で割ることがだめだという話や、面積体積の話、正の数負の数、有理数無理数、etc...すべてがある程度のごまかしが入っている。高校数学など見るに堪えない。数Ⅲで極限を習うはずなのに、極限を使わなければできない微分法を数Ⅱでならう。まして、高校レベルの極限は本質的な意味で極限ではない。

何のことはない。よく『理解できないから解けません』と宣う高尚な思想の高校生がいるが、それは間違いで、教えている側すら100%の理解には到達していないことがあるのが数学である。だからこそ、どこかでいったん妥協して、『そういうものか』と納得するのが一番幸せな道で、『どうしても真実を知りたい』と思ってしまったが最後、理学部数学科という魔境を目指し、そこで真実の一端を知り、人生に生かせるわけもなく、このような文章を書くしかなくなるのだ。

というわけで、理学部数学科卒の考える数学というものを不定期に更新するのが、このnoteの私の使い方である。

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