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Interview : Hazy Sour Cherry in june 2020

The La'sなどネオアコを彷彿とさせる、爽やかで瑞々しい青春群像を奏でる東京のロックバンド。今年3月にはアメリカはオースティンで毎年開催されるインディロックのサーキットフェス「サウス・バイ・サウスウエスト」への出演が予定されていましたが、惜しくもコロナ影響のためフェスは中止となってしまいました。懐かしさとモダンなアレンジワークが同居する不思議な存在感の彼女・彼らのエピソード。ご覧ください!(All pic by Yukiko Ono)

▽初めまして!新宿NINESPICESの佐藤です。メンバーみなさんの自己紹介をお願いします

Tsuzumi: 歌とタンバリンのつづみです。射手座のO型です。
趣味はNetflixと糖質制限。好きな食べ物は麻婆豆腐。

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(Tsuzumi on Vo & Tambourine)

Jun:ギターのジュンです。乙女座のAB型で、趣味はジョギングとショッピング。好きな食べ物はアボガドです。

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(Jun on gt)

Karin:ドラム担当のKarinです。牡羊座のA型です。趣味は記録をつけること。好きな食べ物は冷やし中華です。

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(Karin on dr)

Poppo Professor: ベースのPoppo Professorです。さそり座で、血液型は不明です……。趣味はアニメ鑑賞とショッピング。好きな食べ物はようかんです。

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(Poppo Professor on Ba)

▽皆さんの活動については今回お誘いするまで詳しく存じませんでした。The La'sのようなネオアコの感触が懐かしさもありますし、ギターフレーズやアレンジにはモダンさがあり今の時代の東京でみなさんのようなタイプのバンドに不思議な存在感を感じています。みなさんはどのように出会ったのでしょうか?

Tsuzumi:洵と香琳はライブハウスで出会いました。洵がギターをひいてるGorillaを初めて見て、なんだこのかっこいー男の子は!ってなった笑
自分が前にドラムを叩いてたCHILDISH TONESを辞めて、洵からバンドやろうと誘われ、送られてきたデモを聞いて曲が最高すぎて、二人ですぐはじめました。香琳はライブハウスで初めて出会った同い年の女の子でした。ハイマーツでドラムを始めてどんどんいいドラマーになっていく姿をみて、わたしともバンドやろーよーって誘いました。ぽっぽちゃんは洵が連れてきてくれて出会った。こういう感じにして欲しいー!とかわたしの抽象的な注文にも考えて頑張ってくれるので、とってもありがたいし頼りにしてます。笑

Jun:元々はTHE FADEAWAYSのライブを観にグリーンアップルに行った時の打ち上げでTsuzumiに声をかけたのがまずお互いを認識したキッカケです。泥酔していてひどく失礼な態度だったのを今思い出してすごく反省しています、、当時は、僕がHateman(今もゆるくやってます)、TsuzumiがChildish Tonesというバンドをやっていてちょくちょく対バンしていました。そのうち段々と話しをするようになると、歳が近かったり、クラッシュが好きだったり、共通する話題があり仲良くなっていったのを覚えています。その後、酒の席で(確か新宿ロフトだったような)一緒にバンドをやろうという話になり、ちょうどChildish Tonesを辞めたタイミングだったのもあって、話はすんなりとまとまりました。初めはTsuzumi & JunとかTeenage FBIとか名乗り2人でライブを数回やったのですが、やっぱり本格的にバンドにしたい思うようになりメンバー探しを始めました。まず、Tsuzumiの紹介でThe HighmartsのドラムのKarinが加入。ふたりはKarinが在学中に東高円寺UFOに遊びに行った時に、同じ歳だと知ったTsuzumiが話しかけたのがキッカケで友達になったみたいです。そして3人で活動するようになるのですがベーシストがなかなか見つからず、最初はTsubasa(Hateman,The knocks,Texaco Leatherman)やトヨゾーくん(THE FADEAWAYS)に手伝ってもらってました。そんな中、下北沢ぷあかうに飲みに行くと、Tomokoさん(Rock Juice,The Tweezers,ex Supersnazz)が、面白い子を連れて来たよとポッポちゃんを紹介してくれました。話を聞くとTomokoさんの職場の同僚で、TsuzumiやKarinと同い歳で、Gene Vincentやアメリカングラフティーが好きと。その場は盛り上がってそのまま別れたのですが、後から高校生の時にベースをやっていたと聞きすぐに連絡しバンドに入ってもらいました。その時期にほぼ並行して1stアルバムを作り始めました。全部自分達で録ろうと思いMTRやらマイクやらをひとしきり揃えました。無理くり金を借りたりして。でも、その時は謎の万能感に満ち満ちていたので、経費なんか即回収、いやむしろ億万長者になるぜくらい気持ちでしたね。今聴いてみるとボリュームのばらつきやらなんやらで素人然としてて思うところが多々ありますが、いい作品だと思っています。あとアートワークの面でホシエイスケくんとYukiko Onoさんにお願いしたのがすごくデカかったです。こんな感じで東京のいろんな遊び場にいたやつらがたまたま出会ってスタートしたバンドです。

Karin:在籍しているThe Highmartsが活動を少し制限していた2年前、つづみから下北沢にあった宿場という居酒屋に呼び出され、バンドに誘われました。ジュンとつづみが2人でやってたHAZYの前身のデュオも素晴らしいと思っていたし、つづみは当時遊んでいたガレージパンクのシーンでできた初めての友達であり、彼女とバンドができるのが嬉しかったので二つ返事でOKしました。

Poppo Professor):僕の場合は、前のバイト先の先輩からジュンさんを紹介してもらったことからですね。それで、一緒にやらない?って言われて、やりたいです! という流れだったと思います。つづみとかりんが同い年なのはびっくりしました。

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▽今年3月にはアメリカオースティン州で毎年行われる「サウスバイサウスウエスト」への出演が決まっていましたが、コロナの影響により残念ながらイベント自体中止となってしまいました。みなさんの音楽からはやはり海外バンドの影響を感じるのですが、サウスバイサウスウエストで見てみたかったアーティストを教えてください。まったく関係ないバンドでも大丈夫です。みなさんが影響を受けたフェイバリットアーティストを伺いたいです。

Tsuzumi :Damnably Recordsのバンドを楽しみにしていました。レーベルオーナーでもあるGeorgeに会えるのも楽しみでした。父も母も音楽好きでバンドもやってたし、周りの大人も音楽の人ばかりで、いま自分の好きなものは子供の頃から身近なものでした。小学生のとき家でJoe Strummer & The MescalerosのStreetcoreがかかってて、これ好き〜と言えず誰も家にいない時にオレンジ色のジャケだけ覚えてて探したけど、背表紙が日焼けしていて見つけられず。。中学生のときまた家でかかってたのを発見し、自分の部屋に持ち帰ってずっと聞いてました。高校生のときやっと両親に打ち明けたら「Crashは!?聴いてないの!?」って言われ、Crashに出会いました。

Jun:両親がロックバーを経営してたりバンドやってたり家にレコードがたくさんあったりで、物心ついた時には既に音楽は身近な存在でした。そんな環境で育ったので自然にいろいろ聴くようになっていたのですが、ある時うちのバーの常連さんがFirestarterの1stアルバムを持って来ました。それを自分の部屋で何度も聴いているうちに、自分の音楽に出会ったつう感覚があったのを鮮明に覚えています。何というかケツがじりじりするような、すぐに何か始めたくなるような衝動ですかね。SXSWではなんつってもProtexが観たかったです。Protexをテキサスで観たらグッとき過ぎて泣いてたと思います。あとはもう亡くなってしまいましたが、テキサスでRoky Ericksonを観てみたかったな。

Karin:所属しているdamnably recordsの参加バンドは予習していて、対バンを楽しみにしていました。特にHIPERSON/海朋森のステージを楽しみにしていましたが、中国のバンドということで、SXSWの開催中止がアナウンスされる前にいち早く不参加が決まってしまった時はショックでした。10代の頃にガレージパンクに出会い、高校が水道橋にあったので関口宏さんの本をメモしてジャニスに通って、当時高くて手が出せなかったり、見つけられないものが多かったCDを借りられたので恵まれていました。大学に入ってからはシーンに遊びに行って…ずっと自分がバンドをやるとは思っていなかったので、実際に始めてから影響を受けたのは仲良くしてくれた大人の人達だと思います。

Poppo Professor:バンドでは無いですが、ゲームクリエイターで楽曲も作られる麻枝准さんはかなり大きな影響を受けています。また、BOØWY並びに氷室京介さん、作詞家としては松本隆さんですかね。大滝詠一さんも大好きです。挙げたらキリないですね笑 音楽には疎いので、サウスバイでのバンドは当日探そうと思っていました。色んなショーケースを見て、勉強したかったです……

▽日本語歌詞がとてもかわいくて、ストレートに歌詞が耳にはいってきてジンとする歌が魅力的です。僕は「Tour De Tokyo」がとても好きです。個人的に地方から上京した18歳のころの不安とワクワクが甦り胸がぎゅっとします(笑)歌詞はどなたが書かれていますか?

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Tsuzumi:ほぼ洵が書いてますが香琳の歌詞も最高です。わたしは語彙力がないので歌詞をかけるのはとっても羨ましいし、リスペクトしてます!

Jun:ありがとうございます。歌詞は僕がメインで書いてますが、この曲はKarinと共同で作りました。僕も地方出身者なので、上京時のワクワク感は未だに覚えてますねー。今はもう何年も住んでいるので新鮮味はさほど無くなってきましたが。それでもいつもの帰り道、ふらっと知らない路地へ入って行ったら知らなかった素敵な何かに出会えるんじゃないか、、そんな気分でTour de Tokyoは書きました。ちなみにThe singer not the songの歌詞はKarinです。

Karin:ほぼジュンです。たまに私が書くときや手直し程度をすることもあります。家も近いのでよく飲みに行って話をするのもあって、彼の考え方や世界観を信頼しているし尊敬しています。

Poppo Professor:ジュンさんじゃないかなと思います。別の曲ですが、かりんが書いた歌詞も素敵でとても好きです。僕は現在のところ、楽曲への関わりはなく、Tour De Tokyoには関わって無いです笑 現在曲は作っていますが、Hazy Sour Cherry(以下、HSC)の世界観というか、やりたい音楽をイメージするのって難しいんですよね……。ジュンさんの曲や歌詞、かりんの歌詞、つづみの歌が、HSCなんだなって思っているので、新参の僕も入り込めるようにしたいです。

▽バンド活動には様々な魅力や大変な部分が多くあると思います。活動の中で楽しいことや、皆さんの日々の生活にバンドがどうフィードバックしているか教えて下さい。

Tsuzumi:わたしはライブが楽しくて楽しくてたまんないです。そのためのスタジオも楽しい。メンバー4人のバイブスがカチっと合った時の快感とか、お酒と同じくらいやめられない病みつき感笑 バンドがあるから毎日やなことも楽しくできてると思います。今までは自分たちが楽しければいいと思ってたけど、聴いてくれている人がいることやCDを買ったとかのSNSの投稿とかを見るのがすごく嬉しい。

Jun:普通に生活をしていたらどう考えても出会わなかった人と出会い、同じ時間を共有し、何かを一緒に始めたりできる事だと思います。まあ、普通の生活なんていうのは単なる幻想だと思ってますが、、それはともかくとして実際、僕らはみんな趣味も嗜好もけっこう違っていて、遊ぶ場所や交友関係もちょっとずつ違います。でもバンドで集まれば楽しいし、何か不思議な絆のようなものを感じます。個が個として繋がり、壁にぶち当たっても何度でもそこに戻れるような、そんな贅沢を許容してくれるのがバンドなんじゃないでしょうか。

Karin:人生を支える柱が一つ増えたような気がしています。会社員として、女性として、など自分を構成する大きな要素に並んで、Hazy Sour Cherryのメンバーとして、というのがあります。バンドによって違う景色が見えるし、家族とも友達とも違う特別な存在と音楽ができること、何よりHazyのメンバーでいる時の自分が好きなので幸せです。

Poppo Professor: 僕の場合は、楽しい音楽を持ってきてくれるみんなとセッションしてるのが楽しいですね。HSCでライブする前は、高校生の時のライブが最後だったので、5〜6年ブランクがあって素人同然。ジュンさんに教えてもらうアーティストの曲を聞いて、見聞を広めています。

▽コロナ流行の影響でなかなか先が見通せない日々が続いています。人が集まるというごく自然な行動が難しい中ですが、音楽とどのようにつき合っていきたいですか?

Tsuzumi:今まで当たり前にできてたことが出来なくなって気分がおちたけど、おちてる場合じゃないと思ってできることはないか考えてみました。だけどライブや音楽に変わるものはない。ライブがみれない、できないだけでこんなにも自分のバランスが保てなくなるものかと実感しました。絶対に無くしたくないし、コロナウイルスの流行前の状況に戻りたいというよりも、よりもっと素晴らしい楽しい音楽の現場をつくりたいです。

Jun:音楽とは変わらず付き合っていきますが、コロナやその他病気、社会や政治、金仕事生活etcとももちろん付き合っていかなければいけません。そして、そんな中でも誰しも自分の人生をより豊かにしたいと願ってると思います。このインタビューを頂いた時と今これを書いてる時点(恐らく1、2週間程度。NineSpice様遅くなってすみません。。)では世の中の雰囲気は随分と変わりました。昼下がりの下北沢では子供が走り回って、カップルは飲み物片手に談笑をし、夜になると赤提灯の奥から笑い声やら従業員の怒号やらが聞こえてきます。都内なのに星が見えんじゃないかつうくらい静かなあの夜から、あっという間です。専門家じゃないのでこれから感染の拡大の推移や第二波、第三波がどうなるかはわかりませんが、明らかに世の中の雰囲気が何度も何度も変わっていったのは分かりました。そんな中、世間の空気から取り残された人や場所があります、或いは押し潰されていったものがあります。もしかしたら彼らはたまたま環境が違った自分なんじゃないかと。例え空気に流されていてもそんな考えを巡らせる時間がみんなにあればいいなと思います。

Karin:私自身は幸いコロナの影響がダイレクトになく、ライブがなくなってしまったことに漠然とさみしいなというぐらいで、音楽や周りとの付き合い方に変化はありません。むしろこんなことになるまでロボットのような生活をしていて、自発的な行動が難しかったことに気づけたぐらいです。
自分と、それぞれの大切なものを少し守ったりして、なんとかいい未来を信じるので精一杯ですが、それでもいいと思います。あとスタジオに入れないので電子ドラムを買いました。

Poppo Professor:音楽は1人で出来る時代ですが、バンドはそうはいかないですよね。それでも、やれる範囲で楽しいことをしたいとは思っていますが、何も出来て無いです笑 とりあえずは曲をつくります。

▽最後に読者のみなさんへメッセージをお願いします!

Tsuzumi: 最後まで読んでくださりありがとうございます!人にやさしく!コロナに負けるな!ラブ!

Jun:下北沢のはんさむって蕎麦屋おいしいよ。おすすめ

Karin: 今回このような機会を頂きありがとうございます。Hazy Sour Cherryを今後もよろしくお願いします!

Poppo Professor):HSCを楽しんで聴いていただければ何よりです。新型コロナウイルス感染症とか、外出自粛とか、政治だとか、色々不満がある中で、一つの息抜きになれれば良いなと。

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