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【能登】狼煙の残響

執筆日…2023/4/23
この旅行記は、筆者が2022年7月〜2023年10月にかけて日本一周していた際に執筆したものです。

 「狼煙」の文字が青看板に現れるようになれば、目的地まではもうすぐである。海原を右手に見下ろしながら、曲がりくねった道を進んでいくと、その先には「道の駅 狼煙」が待ち構えている。こここそが、能登半島の最果ての地――の一歩手前である。
 車を降りて駐車場を突っ切ると、「禄剛崎はこちら」という案内が出ている。案内の先は割と急な上り坂の遊歩道になっていて、その坂を越えた先に、本当の最果てがある。それが禄剛崎(ろっこうざき)灯台という、断崖の上に立つ白亜の灯台である。
 灯台の正面に立つと、縦長の窓の上に「銘板」と呼ばれる記念額があり、そこに菊の紋章が描かれている。菊の紋章を持つ灯台は、全国でもこの禄剛崎灯台のみらしい。菊の紋章の意味には諸説あるが、明治初期に初めて日本人のみによって建設された灯台であり、その感動を日本の誇りとして刻んだのでは、という説がある(勅命によって造られた灯台ではない)。
 能登の最果てを目の前にして、端っこ好きの私としては、特に感動――しなかった。今日が曇天だったからではない。感動よりも懐かしさが勝ったからである。
 私がここに来るのは二度目。初めて来たときは昨年のゴールデンウィークで、一人ではなく家族四人だった。実に約13年振りの家族旅行ということで、私も弟も成長したものだなあと、両親が感慨に耽るようなイベントになるはずだったのだが、生憎そうはならなかった。
 ひとえに私が原因である。

 禄剛崎訪問の前夜、和倉温泉の温泉宿にて夕飯を頂き、少し落ち着いた頃だった。少しお酒も嗜んでいい気分になっていたところに、「実は…今日報告がありまして」と私は切り出した。そして翌月6月末に退職することを伝えた。
 予め父には伝えていたが、母と弟には伝えていなかったので、母は「え〜?」とショッキングなリアクションだった。ようやく息子が社会人3年目になり、社会的に安心できる状態になったかと思った矢先にこのザマなので、母の立場になってみればその反応はごもっともだろう。一方、当時大学3年生だった弟はニヤニヤしていた。模範的でない兄を持つ弟というのは、比較的プレッシャーが少ないのかもしれない。
 久し振りの家族旅行にて親不孝宣言をしたものの、仕事を辞めたら旅を始めることや具体的な旅程を話し出したときには、母は神妙な表情ではなくなっていた。反対されたところで撤回するつもりは毛頭なかったが、なんだかんだ受け入れてくれた母には感謝している。ちなみに父は、私の試みを最初から面白がっていた。

 そんな騒がしい夜から一夜明け、和倉温泉から禄剛崎までの道は私が運転することになった。当時は運転経験が浅かったので、曲がりくねった道は不慣れだったが、それでも事故なく「道の駅 狼煙」まで辿り着いた。道の駅から坂道を登ると、白亜の灯台が現れた。雲一つない青空に映える灯台に「端っこ」らしさを感じて、私はいたく感動した。
 それゆえ、禄剛崎はなんとなく「始まりの地」であるという印象が自分の中にあった。

 季節外れの冷たい風に追い立てられて、そそくさと遊歩道を下り、駐車場に戻る。景色にこそ感動はあまりしていないが、この秋田ナンバーの車を一人で運転してここまでやって来たということには、なかなか感慨深さを覚える。
 ふと近くを見ると、秋田ナンバーの車が停まっている。周りには庄内ナンバー、札幌ナンバー。ここでは私は余所者ではない。秋田ナンバーがこんなところに…? という目で見られることもない。煩わしさから解放された一方で、少し寂しさもあった。
 旅の始まりから10か月。ついにホームの香りを感じる土地まで戻ってきた。周囲から聞こえる言葉にはまだ西日本のアクセントが感じられるが、西日本の世界を去るのも時間の問題である。すぐ近くの庄内ナンバーの車から東北弁が聞こえてきて、私は「一周」の意味をようやく肌で理解できるようになった気がした。

 その夜は輪島温泉「ねぶた温泉」を訪れた。当初は明日訪れる予定だったが、一日中冷たい風を浴びていれば、さすがに体が温もりを欲する。
 そういうときに入る温泉は、3割増しで心地良い。体が末梢からじんわりと温まる感覚には、思わず溜め息が漏れる。その3割を差し引いたとしても、ねぶた温泉はとてもとろとろの肌触りであるうえに、お湯からは出汁のような香りがふわりと漂い、シンプルに質の高い温泉であった。
 この満足感は、兵庫県北部の浜坂温泉郷以来かもしれない。その間巡っていた近畿エリアは、日本の歴史がこれでもかというほど詰まっており、非常に勉強になった一方で、温泉は少なかった。コンセプトの一つが温泉巡りである私としては、待望のいい湯というわけである。
 大浴場の内装もちょうどよかった。木の壁から漂う優しい香りに癒され、全体的な清潔感にも安心しつつ、几帳面すぎない空間でのんびりできた。たまに潔癖さを感じるほど手入れが行き届いている温泉もあり、もちろん有り難いのだが、シャワーの蛇口が錆びていたり、床に温泉の析出物がこびりついていたりするところに風情を感じる人間なので、程よい綺麗さが私には落ち着く。輪島に再訪することがあれば、ぜひねぶた温泉に泊まりたいと思った。

 翌朝は輪島朝市に行った。実は輪島は河豚の漁獲量が日本一だそうで、能登ふぐにありつくべく、朝市通り沿いの「海幸」の暖簾を潜った。お店に入ったときには11時を過ぎていたが、幸運にもまだふぐ丼は残っていたので、迷わず注文した。
 かくしてふぐ丼は私の目の前に現れた。なんと輪島塗りの箸はお土産に持ち帰ってよいという。スーベニア・チョップスティックスなんて初めてで、有り難く頂くことにした。
 河豚はぷりぷりで、噛めば噛むほど旨味が滲み出す。正直、河豚で有名な下関ではあまり河豚を堪能できなかったので、ここで頂けたのはとても喜ばしかった。
 さらに丼には河豚の白子が載っていた。トッピングしたわけではなく、もともと載っているのである。なんて贅沢な、と思いつつ、ポン酢を少しだけつけて口に運ぶと、信じられないほど濃厚なとろとろ感が口の中に広がった。TPOを考慮しなくてよいなら、私は「旨い! 旨い!」と連呼していたことだろう。これぞ魂が震えるような日本海の恵みだった。ちなみに味噌汁もついて2,000円弱なので、かなりお得感があった。

 輪島の次は能登金剛に行った。能登金剛は能登半島西岸に続く断崖絶壁の景勝地で、ヤセの断崖、義経の舟隠し、関野鼻など、日本海の荒波に揉まれて形成された迫力満点の光景を眺めることができる。金剛とはダイヤモンドの和名だが、その光景がダイヤモンドのように美しいので――という由来ではなく、北朝鮮にある金剛山に因んでいるのだそうである。
 能登金剛の最大の名所は「巌門」。巨大な黒い岩に波蝕洞が開いており、日本海の激しさに圧倒される。その裏側には千畳敷が広がっており、延々と続く断崖絶壁を一望することができた。
 千畳敷のような広い岩場があると、どうしても私は散策したくなる。潮溜まりを覗き込んだり、岩から岩を渡り歩いたりして、道なき道を当て所なく歩き回っていると、小さい頃に磯で遊んでいた頃の風景に、ふと引き戻されることがある。

 能登には温泉と食とジオパーク――私が旅のコンセプトとしているものが揃っている。なんだか旅も終盤に差し掛かっているような気になっていたけれど、実はまだ先は長いのだから、ここで改めて旅の原始的な喜びを噛み締めて、再出発してみるのもよいかもしれない。
 少し遠くから狼煙の音が聞こえる。あれはきっと、去年の今頃打ち上げられた狼煙の残響。その音がまだ耳に届き、私の体を動かしている。小さな頃から見てきた日本海の荒波を背に、私は自身の若さに潜む次の導火線を探していた。

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