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「勉強しなさい!」って一度も言われず東大と京大を輩出した家庭の教育方針

島根県という田舎から同じ家庭で育って、
兄は東京大学、弟は京都大学に進学。
そんな家で育った自分。

兄がすごい勉強をしている!
気付いたら東大に受かっていた。。。

そんな姿を見ているので、「勉強したら東大にいけるんだ」
って、楽観的に考えていたのが中学生の頃。
(3歳違いで、高校は入れ違い)

田舎の中では一応の進学校だったので、1年生の時から志望校に東大や京大を書くことが習慣に。
兄と同じは嫌でずっと京大って書いていたら、いざセンター試験で点数が悪くて担任の先生に
「確実に受かるようにランクを落としなさい!」
って言われても、京大にいきたくなっていたのが受験生の思い出です。

(泣きながら一晩考えましたけど)

兄も弟も、そんな大学に通っていたらさぞかし厳しい家庭だったのでは?
っと聞かれることもありますが、
「勉強しなさい!」なんて一言も言われたこともありません。

むしろ、勉強し過ぎて頭悪くなるよ、って言われていたり。。笑

「勉強しなさい!」と言われず、何を言われてきたか?

今も現役で保育士の先生をしている母親。
幼稚園の時から言われてきたのは、当たり前のことでした。

・しっかり『あいさつ』しなさい
・きちんと『ありがとう』とお礼を言いなさい
・悪い事したら『ごめんなさい』と謝りましょう
・『嘘をつかない』、隠し事はしない


過保護というわけではなかったですが、今どきでは珍しく隣の家の子供に怒るくらいちゃんと物言う性格でした。

おかげさまで、母親に対して反抗期がなかったくらいです。。
(父親にはありました・・)

礼儀正しく、先生の言うことはしっかり聞く真面目な優等生。
と、自分で言うのも恥ずかしいですが、当たり前のことをしっかり身に付けさせてくれたのは母親の教育の賜物でした。

息子2人が頑張って良い大学に入っても、周りに自慢していたなんて話しも聞きませんでした。

塾に通ったのは、中学受験のたった2ヶ月

そもそも田舎に国立大学に合格させるほどの塾はありませんでした。
浪人した友達は、しっかりと勉強するために駿台や河合塾に通うために県外まで出ていくことが当り前。

県内有数の進学校と言っても、自分の年は定員割れ。
県でも東大や京大に合格する人は、毎年両手で数えられる程度でした。

とは言え、独学で受かったわけではありません。
高校の先生が、通常の授業にプラスαで補修や課題を出していたからになります。

東大・京大だと、理系でも国語があったので、国語・数学・英語・生物・化学を全て添削してもらうことに。。

今考えるとブラックと言われてもおかしくないくらい、高校の教師はコミットして生徒の力を引き延ばそうとされていました。

高校も県立で大学も国立なので、そこは親の家計の負担を減らせたのではないかと勝手に想像。

「自分で決める」、本人の意思を尊重して受験させてもらえた。

高校を卒業するまで、親に言われてやったことはほとんどありません。

田舎では珍しく受験のある教育学部附属の中学を受験。
それも、兄が受けていたから弟も受けることに。

バスケ部も誰に言われたわけではありませんが、兄がやっていたから。
兄の影響を強く受けている弟です。。

それも、兄に言われたり、親から何か言われたからではなく、自分の意思で受けると決めたからこそ、嫌々ではなくモチベ高くやってきたのだと思います。

担任の先生に京大を諦めろと言われた時。
泣きながら兄に相談したり、考え込んでいましたが、頭の中の想像は京大に合格した時の想像だけでした。
人生一度きりの挑戦だと思ったから、胃が痛くなってもずーっと勉強し続けられたと思います。

そんな自分の意思で決める決断力を付けさせてくれたのは、自由気ままに生きさせてくれた母の器と、道しるべを示してくれた兄の存在です。

負けず嫌いでもあったので、京大受ける!っと連呼していて実際ハードルを落とす自分にカッコ悪く感じたのもありました。

受かった時の未来を想像して、挑戦しない時と比べてどちらがワクワクしたか?
本当に、落ちることを考えずに勉強していたのがよかったかもしれません。


今の想いは、将来子供が出来た時に、同じように子供の決断を尊重できるか?
どこか、失敗を恐れて自分から可能性を閉ざさないかが不安となります。

そして、子供に誇れて、背中を追いかけたい父親になれるか?

そう考えると、母親の教育も兄のチャレンジ精神も本当にすごいと、良い家庭に恵まれた自分に感謝です。

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