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学歴・社歴自慢だった自分が、望む人生を描くまでのストーリー

マウント男子を言われるのは、ひとえに自分の学歴や社歴に自信があったから。
しかし、経歴に自信はあっても自分に自信がないのが本音です。
正直申し上げますが、理想の自分や生活には道半ばどころか、理想は遠くにうっすら見えるくらいです。

そして、よく順風満帆な人生だったとか、出世コースとかたまに言われていましたが、経歴の中には見えない部分が多々あります。
自慢になりますが、学歴も社歴もそこそこ良かったです。
(これがマウント男子と言われる由縁ですね。)

転職を2回して、なおも理想を描き続けている男の行く末に迫ります。

◆本当は京都大学には入れると思っていなかった。D判定からの逆転。

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勉強の努力はしてきました。
ただ、高校3年生当時の学力で、京都大学に受かるなんて同級生はもちろん、先生方は誰一人も思っていませんでした。

後期試験に受かる前提で京大の試験を受験。
受かるとは自分が一番思っていなかったもので、合格発表が終わってから慌てて家を決めたりてんやわんやだった記憶があります。

高校の先生方に合格したことを報告しに行ったら「お前が京大?」っとかなりびっくりされていました。
実際に、合格最低ラインぎりぎりくらい。

1日14時間くらい勉強をして、お腹痛くなったり、黒板を睨みつけたりと人生で1番必至だったんじゃないかくらい。

◆外資でグローバルな仕事

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新卒で入った世界最大大手の化学メーカーでも、実は大学院の研究の時間をかなり削って就活をしていました。
当時、4月から内定が出るタイミングでしたが、4月末にはエントリーが0に。。。
80社以上エントリーして、お祈りをたくさん喰らって、最終面接で落ちたり。

周りは一流企業に受かっている中、正直焦っていました。
田舎に帰って県庁を受けようかと思って親に相談したり。
再度、研究職から営業職に切り替えて無事に受かったのが背景です。

外資に入って、それなりに給与をもらって、海外出張もあったり、日本のマーケットを任されるくらい裁量権もありました。
ただ、大企業の歯車の一部に飲み込まれながら、どこか物足りない葛藤がありました。

◆創業1年のベンチャーで地味な立ち上げ、そして再び会社員へ

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創立100年以上、全世界社員10万人の大企業を5年働いてから一転、立ち上げ1年未満、社員数名のベンチャーに転職。

そこでは、大企業のブランドが使えない経験がありました。
大企業では考えられない飛び込みやテレアポ、ティッシュ配りやFAX送付などなど。

立ち上げを学ぶことはできましたが、やはり給与面でしんどかったり。。
遣り甲斐をどこに見出せばいいかわからない、先行きわからない状態はかなり不安でした。

結局は給与面の不安に負け、上場したばかりのIT企業へ転職。
給与はそこそこになりましたが、今度は仕事に追われることに。
オフィスから出ずに、パソコン作業で肩を凝る毎日。

もちろん、会社で良いこともたくさんありました!
ですが、超大手企業、ドベンチャー、新進の上場企業を経験しても隣の芝生は青く見えてきます。

◆今の夢は、田舎に平屋を借りてスローライフ?!

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資産を持って、定期的に収入が入りつつ、リモートワークで仕事ができる状態になると言ったら確かに憧れます。

ですが、どの道をとっても結局は苦労しますし、どこでも一流になるためにはもちろん努力が必要不可欠です。

いくつもの選択肢を持つことは大事ですが、自分の理想のライフスタイルを求め続けることが今の喜びです。

望む人生は変わって良いと思います。
だって、自分の選択肢が広がっている証拠ですから。

もちろん一本の道を究めることも大事ですが、短い人生の中で自分のやりたいようにできるするのも一つの手です。

そのためには、お金の知識をつけたり、スキルを身に付けたり、人脈を増やしたりなどする必要なので、必ずしも楽な道ではありませんが、楽しい人生が待っていると信じて走り続けています。



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