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あなたの夢はなんですか、と問われたときの対処法

新年が明け、受験、進学といった新年度が控えたタイミングということもあり、「あなたの夢は?」的な話をいくつかラジオで聞きました。いずれも立ち位置としては、夢を語りたい人が語るのはいい、夢を持ちそれに邁進する人は素晴らしい、と前置きをしながら、夢を持つことは強制ではない、やりたいことに出会えていることが珍しい、と丁寧に言葉を重ねていて好感を持ちました。

と同時に、とはいえやはり「あなたの夢は?」という問いかけは定番化していて、その答えを聞いて満足したい、納得したいという消費のされ方をしているワードの一つだと思います。人はなぜ他人の夢の話を聞きたがるのか?それについて考えてみました。

まずこの「人は」の実態は「メディアは」と言い換えていいと思います。つまりは世間ウケする話題の一つであり、視聴者を温かい気持ちにさせるわかりやすいネタだということです。この「わかりやすさ」の正体は「成果主義」と結びついているのではないだろうか、とふと思いました。

プロのアスリートが、結果を重視する発言をしている風景が脳裏に上がります。経済的に成功しているセレブリティが羨望の眼で見られるのもわかります。いずれも具体的に数値で表される成果を残しているというのがその根拠となっています。

そうした人々を見ると、羨ましい、妬ましいという気持ちになりますが、それらは単純にネガティブなモノというわけではありません。感情は人間を動かす強烈なエンジンですから、それを推進力にできればいいのです。

自らの上昇志向をその手の刺激の燃料にする手もありますが、僕はひねくれたモノの見方をします。人生という時間軸に乗せてみたとき、結果というのはある時点での位置を示しているだけです。ある結果を得たその直後にそれは過去のものになっていく、それはその程度のものだし、それよりも過程のほうが遥かに重いものとして僕は感じられます。

「夢」という「結果」が、今、自分の頭の中に描けているかそうでないか、それは根本的には重要ではないと思います。

「夢」ではなく「幸福」について考えてみる。自分にとって何が楽しいと思うのか、瞬間瞬間において、その幸福を意識してみます。小さなことでもいいんです。辛いことがあったら、次に幸せが来るんだと思う。日々の忙しなさに麻痺して、そういうことを忘れがちになってはいないだろうか。

自分にとって何が幸福なのかについて意識を向けることが、「あなたの夢はなんですか?」という問いについての答えになるはずだと思いました。