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方舟 夕木春央 感想

いやはや。もちろん、ネタバレ注意の感想です。

実は、本格派推理小説は、僕の好みからは少し外れる。登場人物の人間味のなさ、将棋の駒のような扱われ方がどうにも気になってしまうのだ。本作もその例に漏れず、あのような極めて特殊な環境でのサバイバルにしては、どうにものんびりしていて間が抜けて見える。にも関わらず本を置くことができない。どうしても先が気になって仕方がなく、物語世界のイメージが残って訳のわからない夢まで見た。

読み進めながらもフラストレーションを感じる。本文にも言及があるように、いわゆる「閉ざされた雪の山荘」状況下での殺人事件である。全員が関係者の中、頭の切れる探偵役もいるにはいるがスロースターターだ。閉じ込められた彼らは残置された缶詰で食いつなぐが、こちらも味気のない進行にストレスが溜まっていく。そういう意味では登場人物に共感しないでもない。

半ばに、探偵から謎解きの披露があるが、それも小出しに終わり、作中のタイムリミットも、本の残りページもどんどん減っていく。死体の数に比例して、証拠品の点数だけは増えていくが、決定打に欠いたまま、お決まりの「名探偵の謎解き講義」である。

その前にひとつ、ぐっときた場面があった。第三の殺人が起こる前。柊一と麻衣が、自分達の状況を突き詰めて話し合うところだ。なるほど、これはトロッコ問題のバリエーションか、と思った。しかし麻衣のこの台詞「だって、この事件の犯人って、バレたら死刑になるでしょ?その命を使ってみんなを助けないと、一人多く死者が出るってことだもんね。」(p195)この意味はいまだにわからない。一人多く死者が出るとは何を指しているのか。

さて、謎解き講義、これは上出来だ。パズラーならではの重箱の隅をつつくような細部の説明もわかりやすく、すんなり理解できた。最大の謎である犯行動機、これがまさしく「トロッコ問題」状況を作り出すため、という、ぱっと聞き唖然とするような理由だが、かつ、この小説をある種の「思考実験」ミステリと捉えれば、これはなかなかに深いんじゃないか、とも思わせる。実際、その直後に犯人に対して懇願する彼らは、自分達の「罪」を逃れようと醜悪な姿を晒す。

そしてなんとなく、全てがひっくり返るような予感もした。

エピローグ。ってこれエピローグじゃないでしょ。ここからが本筋の悪夢、何もかもが反転する。

この結末から逆再生してこの小説を振り返る。この建造物の状況が示され、空気ボンベとレギュレーターが見つかった時点で、有志がそれを使って救助を呼びにいくということにならないか?一週間も時間に猶予があるんだから。それをやったらこの小説自体が冒険サバイバルになってしまうか。なるほど、あえて人間ドラマの要素を極力排除し、リアリティを退けたのは、この衝撃の結末のためなのだ。主役は「謎」そのものと、それを象徴する「建造物」だったのだ。

講談社の「読者専用ネタバレ解説ページ」というのがあったので読んでみた(パスワードロックがかかっています)。作家の有栖川有栖氏による詳細な解説で説得力があるが、ならば再度疑問を呈してもみたくなる。冒険サバイバル脱出行の道はなかったのか?

この建造物の構造は序盤に明らかになるが、その時思ったのは映画『ポセイドンアドベンチャー』みたいだな、だった。

天井近くまで浸水した地下3階のその先には非常口がある。ならばここを突破する方法を考えるのがまずは順当でしょう。仮にダイビング装備がなくても、平面図を見る限り、息を止めて潜水で泳ぎ切れなくはなさそうな距離だし、天井近くにはエア溜まりだってあるかもしれない。

『ポセイドンアドベンチャー』にも似たようなシーンが出てくるのだ。生き残りグループの内、元競泳の選手だった女性が、ロープか何かの端を持ちながら浸水エリアを泳ぎ切る。そうして張られたロープのラインを手繰るように、残りのメンバーもここを通過する、という筋書きだった。

これとまったく同じことができないか。ましてやボンベとレギュレーターがあるのだ。ハーネスがないという問題はあるが、水中だと重量も軽減するだろうし、台車など代わりになるものを探すとか、何か工夫はできそうだ。

さらには地下3階の状況がまったく不明だという問題もある。地震が起き水流が増えたのだ。出口までのルートに障害物があったり、思いもかけない水の流れがあるかもしれず、事前の探索は必要だろう。それには人員も多い方がいい。

まずはボンベを持った斥候を出し、ルートの確保とロープなどでのラインの設置、さらには出口のマンドアが確実に開き外に出られるかの確認。そこまで出来たら引き返し、地下3階の中央あたりにボンベを残置した上で地下2階に戻る。そして順番に素潜りの潜水でここを突破するのだ。

最も問題になりそうなのは低水温による低体温症だが、この問題に関しては本作でも条件は一緒だ。この点でもむしろ人手が多い方がお互いをサポートできるので心強いだろう。

しかしこれでは前述したようにまったく別のストーリーになってしまう。もう少し、本書に寄り添うのならば、例えば麻衣が監視カメラ映像の入れ替えをした後、その晩とかに、皆の目を盗んで一人でボンベを使って地下3階から脱出する、というオプションはどうだろう。

麻衣の懸念が、数が限られているボンベを巡る争い事、にあるのなら、誰にも知られず自分だけ脱出することを考えてもよかったのではないか。監視カメラ映像を入れ替えたこと、無事に脱出できたら可能な限り早く下山して救援を呼んでくること、それらを書き置きにして残しておくこともできる。

この「抜け駆け」と、仲間を殺すことと、どちらがより心理的な抵抗が少ないだろう、と考えてしまった。しかしそれ以外の有栖川氏の解説には納得だ。「この作品の大きな特徴は、読んだ者同士で話したくなることだと思います。あの真相が、ずんと胸に残りますから。」まったくその通り。

(追記)先ほど書いた麻衣の台詞の意味がわかった。(その時点で)二人を殺害した犯人は、たとえ死刑になり自らの命で償ったとしても、それは一人分でしかない。だからそれ以上の貢献として残りのみんなを助けるべき、という論理だ。

このように命を人数で数えてしまうこともまた、人間の思考の癖であり、それがジレンマと呼ばれる所以なのだろう。

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