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前回の東京五輪の年に生まれた男の「モノづくりニッポン」観

先の五輪開会式では、ドローンを使った演出が話題になっています。趣味の道具というイメージが強いドローンは、日常生活では身近に普及しているとは言えないものの、近年登場した工業製品のなかでは、認知度はそこそこに高いのではないでしょうか。

僕が子供の頃、日本はベビーブームと高度経済成長の真っ只中でしたが、個人が得られる情報は限られていて、自分の生活範囲を外れた地域の様子は遠い世界の話というイメージでした。

まぁ年少期は多少なりとも世界が狭く、モノを知らず、日々の生活の範囲内でしか想像が及びにくい、そうしたものですが、僕らの頃は、現代と比較しても、さらに狭い世界の中で生きていた感覚があります。

なので日本国内でも他の地方の暮らし振りをイメージすることはなく、しかし逆に「外国」に関してはわからなすぎて逆に惹かれるという面もありました。

そうした日本と世界との関わりを意識することができる一つのアイテムが、工業製品でした。僕の年少期から思春期にかけては、ちょうど、日本の産業が発達し、海外マーケットに徐々に受け入れつつある時期でした。

僕が好きだった「バイク」と「カメラ」は、それぞれ日本のメーカー4社が世界をリードする製品を生み出していたし、自動車だって日本に7社もあった。家電製品、オーディオビジュアルも然りです。僕の自我は、メイド・イン・ジャパンを誇らしく思う気持ちによって培われました。

ちょっと風向きが変わったかな、と思ったのはパソコンが普及しだしてから。基本ソフトウェアであるOSがマイクロソフトとアップルコンピュータの二者択一という、米国企業同士の争いになった中で、日本国産のOS「TRON」は日の目を見ることなく消滅しました。

こうした覇権争いに関しては、何らかの国際的な力学が働いているような気もしています。国産の原子力船「むつ」の末路や、三菱航空機のMRJの事実上の開発中止は、軍需産業に繋がる技術なだけに、裏があるかもしれないな、と、素直に受け止めることを躊躇してしまいますが、これは僕の無知なる戯言と思ってください。

しかしながら、現代のテクノロジーは、経済を牽引する要素であるとともに、特定の国家の国策としても利用されているということは十分に疑ってかかるべきでしょう。

さて、冒頭のドローンの話ですが、この分野を牽引しているのは中国です。このような工業製品は、かつては日本が得意分野としてきた領域でした。

高機能で軽く、小さく、コストは安く、でも品質は良い、そんな工業製品を探すのなら日本製でしょ、という時代がありました。反面、真に画期的、これまでの概念を覆すような斬新な価値観を提示することや、見て触れて愛着が湧くようなデザイン的に優れた製品を作るということは、日本企業は苦手でした。

与えられた課題を最適化することには長けていても、オリジナリティを育てることは重視してこなかった。出る杭は打たれるのことわざ通り、均質で一定の「真面目な」商品を作り続けることに明け暮れていた。

その真面目さの賞味期限は思ったより短かったようです。ラジコンの双葉電子工業、加速度センサなどのデバイスなら村田製作所といった、中小の優れた企業が今でも存在していますが、未来へと繋がるビジョンを持つ創造性を感じさせる、力のあるメーカーはもはや日本にはありません。

オタク市場で息を繋いでいるソニー、創業者の残り香が少しはありそうなホンダ、ワンマンゆえに開拓者精神がある感じのソフトバンク。ハードウェアも含めた物作りを続けている任天堂も骨のある会社のようです。日本メーカーで見るべきものはそのくらいでしょうか。硬直化した巨人のトヨタには未来を感じることができません。

衰退するのは仕方のないことです。しかし、それを認めない、ニッポン凄いのまま突っ走るのは愚かなことだと思います。